リカオンとインパラ、残酷な死

 以前NHKのテレビ番組でリカオンの狩りを見たことがあった。獲物はインパラだったか、ガゼルだったか。リカオンは小型のイヌ科の肉食動物で、集団で狩りをする。何時間も獲物を追跡し追いつめる。その時もインパラだったかガゼルだったかを追いつめ、1頭のリカオンが獲物の鼻に噛みつき、もう1頭が尻を噛み、脚を踏ん張ってやっと立っている動けない獲物の腹に別の1頭が噛みついていた。生きたまま、立ったまま柔らかい内蔵が食いちぎられている。それはいったいどんな気持ちだろう! あれから何年経ってもこの映像を忘れることはできない。
 なぜこのような残酷なことが行われているのか。神は何を考えているのか。進化はどうしてこれを回避しなかったのか。
 進化は適応によって生き延びることに関わってきたのであって、死の苦しさは生存には関係ないので適応が働かず、地獄のようなこんな残酷なことが行われているということだろうか。
 そのようなことを考えさせられた。
 それで一応暫定的な考察を。
 残酷な死は実はそれほど苦しくはないのかもしれない。残酷な苦しみは思えば一瞬だから。人生の時間に比べたら一瞬の寸毫だから。すぐに終わるのだから。どんなに残酷な死を与えられ、苦しんだとしても、その動物、または人の一生においては、エピソードの一つではないのか。ほかに楽しかったたくさんのエピソードがあったのではなかったか。なぜ一生の最後の一瞬のみで彼の人生を結論づけるのか。そう考えることでリカオンの狩を合理化しようとしている。