山本弘と付き合いがあった人たちが企画して、飯田市のギャラリー波奈で「弘さ(ひろさ)思い出展」が開かれたことがある。
昔、買ったりもらったりした人たちが山本弘の作品をギャラリー波奈に並べた。小品やドローイングが多かったがほとんど初めて見るものだった。一番目を引いたのが、弘さんの弟の山本武夫さんが出品した、弘さんが若い頃描いたドローイングだった。若い女性の横顔が鉛筆で描かれている。少ない線で見事に描かれていた。その頬を描く線のきれいなこと!
私は山本弘が37歳のとき初めて会った。すでにその時山本は脳血栓の後遺症で手足も口も不自由だった。だからこのように手が自由だった頃のドローイングを見るのは初めてなのだ。ほんとうにきれいな線だ。「デッサンは勉強すればうまくなる、色は天分だ、俺は色がうまいんだ」と言っていたけれど、どうしてデッサンだって天分じゃないかと思わせた。
展覧会を見るため東京から出かけていったのだが、その時東邦画廊のオーナー中岡さんも一緒に行っていた。中岡さんがあるドローイングに目を留めて、これは弘さんのじゃないなと言った。出品した人がそこにいて、いや確かにこれは山本弘が俺の目の前で描いてくれたんだと抗弁した。しかし中岡さんは、それはあなたの勘違いですよ、これは弘さんの線じゃないと軽く言い放った。
弘さんの線は、こっちの作品にあるように、腕を描くとき光が当たっている側は細く描き、陰の側は太い線で描いている。あなたの持ってきた絵は線が一本調子だ。弘さんはこんな線は描かない。
それで思い出したことがある。浅野貞夫という植物学者がいて、細密な植物生態図を描いていた。まず鉛筆で描き最後に墨入れをする。墨入れをするときに、光が当たっている側の茎は細い筆で描き、陰の方は太い筆で描くんだ。こうすると立体感が出ると話してくれたことがあった。
山本弘のドローイングと浅野貞夫の植物画が同じ方法で描かれていた。あるいは実作をする人たちには自明のことなのかも知れないが、絵も図もただ見るだけの私にとっては印象深いことだった。