偉大な画家たちについて考えてみたい。20世紀美術に革命を起こしたマルセル・デュシャン、抽象表現主義の雄バーネット・ニューマン、ミニマリズムのフランク・ステラ、日付絵画の河原温、戦後日本の抽象の第一人者山口長男、彼らに共通するのは、絵のうまさでその地位を得たことではないということだ。では何か。発想だと思う。発想の特異さではないのか。発想とは何か。それは世界に対峙する姿勢と言いかえてもいい。あるいは物の見方だ。発想といい、姿勢といい、物の見方と言ったがすべて同じことだ。これが一番大事なことだと思う。
野見山暁治の1960年代の絵と山本弘の1970年代の絵が似ていると思って、山本弘没後に野見山さんに山本弘の絵を見てもらったことがある。二人は全く面識がなく、お互いの絵を見たこともなかったはずだ。山本の絵を見られた野見山さんは、似てますね、それは二人の物の見方が似ているからでしょうと言われた。
ミヅマアートギャラリーの山口晃展に行ったとき、うまいですねえというとギャラリーのスタッフが、若い画家たちには普段大事なのは絵のうまさではないと言っているのですが、彼の絵を見るとうまい絵は本当にいいですねと言った。山口晃も会田誠も非常にうまいのだ。しかしうまさで言ったら諏訪敦夫だって引けをとらない。山口と会田はうまいだけではなく、何か変なのだ。ギャラリィKの宇留野さんが会田誠をほめたとき、会田は、ぼくはただの変態ですからと答えたそうだ。二人とも発想や姿勢が独特なのだ。
以前「小磯良平と山口長男」というタイトルで小論を書いたことがある(id:mmpolo:20060314)。小磯良平はきわめてうまい画家だったが、最終的にはうまいだけの画家でしかなかった。それに対して、山口長男は下手な画家だったが、戦後日本最高の抽象画家になった。
フランク・ステラは自分は絵が描けないと言っていた。宇佐美圭司によると「バーネット・ニューマンには幸か不幸かそのカラーフィールドと垂直線の絵の前史に、貧弱なわずかの水彩画しかない。」(「20世紀美術」岩波新書)という。
なるほど、マチスやピカソなどうまくて偉大な画家も存在する。うまくてはいけないと言っているのではない。うまいだけでは駄目だと言っているのだ。
常識的ではないこと、独自な発想、独自な姿勢、独自な物の見方をすることが大切だ。しかし本当はそれらは意識して身に付くものではない。その人の生きてきた歴史、個性がそれらを作るのだ。健闘を祈る。