帰国して消息がつかめなくなった人々

mmpolo2007-04-05




 曹良奎という画家がいた。港の倉庫などをモチーフに優れた絵を描いていた。1928年生まれの在日朝鮮人で、日本での差別に苦しみ北朝鮮へ渡っていった。彼の地でプロパガンダの絵を描かされているとか、最初は細々と消息が伝わってきたが、やがて一切連絡がつかなくなってしまった。
 針生一郎氏が「戦後美術の中の曹良奎」という文章を書いている。
http://www.areum.org/home/lecture/haryu_kouen/index.html
 東京国立近代美術館東京都現代美術館の常設で時々その作品を見ることができる。写真はその「密閉せる倉庫」(東京国立近代美術館所蔵)


 もう一人は哲学者のチャン・デュク・タオ(1917ー?)。フランスで現象学を専攻し、マルクス主義現象学の融合を図っていたヴェトナム人。サルトルの「シチュアシオン4」の「メルロー・ポンチ」にも、「メルローがいなければ、トラン・デュク・タオがその学位論文を書き、フッサールマルクスに結びつけようとこころみたであろうと信じられるだろうか。」と書かれている。言語と意識の起原 (〈特装版〉岩波現代選書)

 主著は「現象学弁証法唯物論」(合同出版)「言語と意識の起源」(岩波書店)、ほかに「現代の理論」1967年8月号に「マルクス主義現象学」という短い論文が掲載されている。
 彼もフランスを離れ当時の北ヴェトナムへ帰国していったが、その後の消息を聞かない。私が知らないだけかも知れないが。
 (名前のチャンは始めトランと訳されていた)。