「信州日報」に寄稿

 飯田市古書店「裏町文庫」を経営している井原修さんが山本弘に関するエッセイを書かれているので一度お会いしたいと思っていた。
 過日帰省した折り飯田市を散策していたら偶然裏町文庫を見つけたので入ってみた。井原さんに挨拶するとエッセイが載っている著書を譲ってくれた。後日手紙を書くと私と山本弘のことを信州日報に連載しているコラムに書きたいと言われる。結構ですとお答えした。以下はそのコラム「新・裏町文庫閑話」より。

 山本弘に弟子がいた。私はそれを聞いて驚いた。たとえば、隠し子がいたというより驚いた。目を剥いて驚いた私に、その弟子は「いえ酒の弟子です」という。その人の名は××××君(私である)。五十七、八くらいの好男子(ママ)である。
 (略)彼は十九歳で弘と親交を深め、弘の死後も彼の絵を探索している。裏町文庫へ現れた時、「あんかるわ(詩誌)へ書いていた井原さんですか?」と問われた。私はてっきり、北川透さんの関係で新左翼系の物書きかと思い、身構えた。あんかるわへは書いていたが、私は泡沫詩人である。肯定すると話題はころっと変わった。
 「私は山本弘の弟子です。彼について書かれている本があれば何でも買います」と言う。(中略)
 何を習ったかというと、絵ではなく酒を教わった。山本家に行くとお茶代わりに朝から酒が出、一升瓶のウイスキーが茶飲み茶碗になみなみと注がれ、ストレートで飲まされたという。
 あの自由奔放な弘に十四年間よく付き添っていたと感心した。(後略)

 紹介するから信州日報へ山本弘の思い出を書かないかという。ありがたくお受けして、3月27日付けで掲載されたのが以下の文章。飯田美術博物館に所蔵されている絵も3点カラーで紹介された。

「私は山本弘の弟子だった」


 ちょうど十五年前、東京銀座の画廊で伊藤公二さんという方の個展を見た。新野の雪祭りを描いていたので飯田の方かなと思って会場にいた画家に声をかけたらやはりそうだった。私は喬木の出身ですと自己紹介して、山本弘の弟子でしたと付け加えた。後日山本弘未亡人の愛子さんにそのことを話すと、山本弘の弟子だなんて言わなきゃいいのに、よく思われないだけだに、と言われた。当時山本弘が亡くなって十年だった。飯田では山本弘は良くて河童の絵がうまい画家、ほとんどの人には酔っぱらいの絵描きぐらいにしか思われていなかったのだ。今でもそうかもしれない。
 東京では違った。山本弘のことなど誰も知らない。だから美術評論家針生一郎さんが読売新聞に山本弘について絶賛して書いてくれた時、東京の美術愛好家たちは絵だけを純粋に評価してくれた。平成六年の東邦画廊の最初の個展では七〇〇人が来廊し絵はほとんど完売した。しかも芸術新潮、月刊美術、日経あーと、月刊ギャラリー、週刊ポスト公明新聞産経新聞等々に紹介されたのだった。
 私は一九歳の時に阿島の淵静寺の和尚さんから紹介されて山本弘に出会い、その後亡くなるまで一四年間師事した。それは幸せなことだった。社会に出る前の未熟な時に優れた師に会い、人生で何が大切か、絵を描くとはどういう生き方か、虚飾を廃することとは何か、それらを直接教わることができたのだから。
 東京の山本弘個展会場にいるとしばしば興味深い体験をする。プロの絵描きが二時間も絵に見入っていたり、何度も会場に足を運んでくれる人がいたり、こんな風に描けたらどんなにかいいのにと言われたりした。色彩のすばらしさは皆がほめる。生前の山本弘も「デッサンは勉強すればうまくなれるが、色は天分だ、俺は色がうまいのだ」と言っていた。
 飯田まで山本弘の絵を見に来られた針生一郎さんは、愛子さんの家で所蔵している作品を一点一点ていねいに見られ、時々これは松本俊介よりいい、香月泰男よりいいなどと声をあげた。飯田市美術博物館の好意で収蔵されている全作品も見られ、百号や五十号などの大作は山本の代表作だろうと言われた。
 山本弘長谷川利行が好きだった。利行の大きな画集を持っていた。利行の絵も、利行の生き方ーー酒に溺れ行き倒れになったデカダンな生活も好きだったのだろう。利行の絵に触発されたような作品も何点かある。そのことを私は平成十二年に東京ステーションギャラリーで開かれた大規模な回顧展「没後六十年 長谷川利行展」を見に行って知った。筆触を強く残す利行の絵と山本弘の絵は似ていた。しかし、利行が色彩に優れているが構成が弱いのに対して、山本弘は色彩がさらに美しく、構成が強いことが特徴だ。
 東京銀座の兜屋画廊で山本弘展が開かれた折り、見に来られた美術評論家瀬木慎一さんは、同じ画廊で続いて開かれる放浪の画家村上肥出夫展にふれて、「村上は卑俗だけど、あんたの先生の芸術はこんなに高いよ」と言って、手を頭の上まで差し上げた。
 今まで東邦画廊、兜屋画廊、ギャラリー77、ギャラリー汲美で個展が開かれた。今年も東京六本木のギャラリーMoMoで3月20日〜31日まで、東京日本橋のギャラリー汲美で4月3日〜14日まで個展が開かれる。
 (信州日報、2007年3月27日)


「路地裏」(100号)
(新聞の写真を撮影したので多少鮮明さを欠く)


「沼」(10号)
(画集の図版を撮影した)