イントネーション


 初めて東京に来た頃、あんたは訛りがないけれどどこの出身? と聞かれた。複数の人たちから何度も。訛りがないのならどうして東京の出身? と聞かないのだろうと不思議だった。その答は十年以上経ってから分かった。産業用スライドのナレーション録りをした。ナレーターはアナウンサーが多く、発声など基礎からたたき込まれている。こちらははばかりながらディレクターといった役回りで、ナレーターに対して指導をする立場だ。録音中にときどきダメを出す。読み間違えを指摘するのが多いのだが、たまに専門用語のイントネーションを訂正する。この時ナレーターがすなおに従わなかった。それはちょっとは驚くべきことだった。ディレクターの指示に従わないなんて。
 それですべて分かったのだ。最初の打ち合わせの時、彼らは気づくのだ。このディレクターはイントネーションがおかしいと。だから誤りを指摘しても素直に従わなかった。イントネーションの指摘に限っていたが。
 初めて東京に来た頃、あの人たちはこう言いたかったのだ。あんたは訛りがないけれどイントネーションがおかしいね、どこの出身なのか? と。
 中学生の時、国語の教科書にイントネーションについて書かれていた。例として「卵焼き」が紹介されていて、そのアクセント記号にしたがって発音すると、何とわが故郷のそれとは全く異なっていたのだ。あの驚きをまだ覚えているから相当にショックだったのだろう。しかしながらイントネーションは是正できない。今でも緊張して意識的に「頭にアクセント」と考えないと「富士山」も正しく発音できない。私の故郷では村民全員が「ふじさん」の「じ」にアクセントを置くのだ。「ラーメン」も「ザード」のようにどこにもアクセントを付けないのだ。