東京神田にあった「ときわ画廊」の思い出

 東京神田に現代美術専門のときわ画廊という貸画廊があった。8年前に閉廊してしまった。ここにその画廊での展覧会の記録をまとめた小冊子がある。題して「ときわ画廊/1964-1998」、1998年12月5日発行、著者:ときわ画廊(大村和子)、発行者:三上豊。
 1964年から1998年まで、35年間続いた老舗の現代美術画廊の記録。開催の明細から主な展示風景の写真、出品作家の詳細な索引まで、およそ遺漏がない。巻末には発行者が聞き手となって35年間画廊の責任者だった大村和子さんへのインタビューまで掲載されている。
 私はわずかに1994年6月に初めて行ってから通い始めたので4年半しか知らない。その4年半で187回の展覧会が開かれ、その内166回の展示を見た。吉田哲也の2回と夏池篤も見ることができた。
 当時大村和子さんに伺ったおもしろいエピソードが、インタビューでも語られているので紹介したい。

大村 (略)この「開く・見えた」展……(1970年12月)。水本さんたち(水本修二・高橋勝・松山徹・渡辺直之)なんですが。一人1匹ずつネズミを持ってきたの。東大医学部実験室から無菌のをもらってきたというんですけど、それをネズミ捕りに入れて画廊の四隅に置くという、それだけの展覧会だったんですけど、ネズミが子どもを産んだんですよ。その子どもを母親が食べるのよ。餌をあげないじゃない。その1週間。あれは嫌でしたね、私。朝になると、画廊に行くの、嫌だなあと思って。(作家たちからネズミに餌を与えるなと言われたという)。

 それから1970年7月、田島廉二の展示では画廊一杯に水を溜めようとしたしたという。

三上 これは、事前にやることは聞いていたわけですか。
大村 はい、聞いてたんです。ですけど、私もそれだけの計算ができませんで、水深がほんのわずかだと思ったんですよ。45cmの深さまでそれをいっぱいにするというところまで私もわかりませんで……。水道の関係がありますでしょう、これだけのプールを埋めていきますのは。ビルの方に許可を取りに行ったら、もうびっくりして飛んできたんです。日曜日一日かかって計算したら、その夜から水を出しっぱなしにして、火曜日までかかるというんです。ずーっと。でもその時間よりも重さですね。地下が三階ありますもので、ぜったいこれは耐えられないというんですよ。もし、これが何かのときに隙間から漏れて下へ行くと、下は機械室がありますから、それはたいへん困るからやめてくれということで、ずいぶんもめたんですけどね。それで、撤去していただくということでお願いしたんです。
三上 写真は水のあるシーンなんですけど、途中までやったわけですね。
大村 そうなんですよ。これは初日の日だと思うんです。

 広い画廊で、45平方メートルくらいはあった。それに45cm水を張ったら、20トンの重さになるではないか。作家たちって変なことを考えるものだ。