国語辞書だけでなく、植物図鑑も

新明解国語辞典 第6版 並版
 三省堂の「新明解国語辞典」は編集主幹の山田忠雄によるユニークな解説で有名だ。その一つ「おやがめ」は次のように書かれている。

おやがめ(親亀) 親に当たる大きなカメ。「(速口言葉で)ーの背中に子ガメを乗せて、子ガメの背中に孫ガメ乗せて、孫ガメの背中にひい孫ガメ乗せて、ーガメこけたら子ガメ・孫ガメ・ひい孫ガメがこけた」(右の成句にたとえを取って、国語辞書の安易な編集ぶりを痛烈に批判した某誌の記事から、他社の辞書生産の際、そのまま採られる先行辞書にもたとえられる。ただし、某誌の批評がことごとく当たっているかどうかは別問題)

 普及版の辞書はしばしば大きな辞書のダイジェストで作られる慣例を皮肉っている。親とした辞書が間違っているとダイジェスト版も間違っている。山田忠雄は「新明解国語辞典」をダイジェストとして作っていない。その自負が現れている。ただし現在の第六版にはこの項目はない。


 同書「まえがき」より

 思えば、辞書界の低迷は、編者の前近代的な体質と方法論の無自覚にあるのではないか。先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの。所詮、芋辞書の域を出ない。その語の指す所のものを実際の用例について、よく知り、よく考え、本義を弁えた上に、広義・狭義にわたって語釈を施す以外に王道は無い。辞書は、引き写しの結果ではなく、用例蒐集と思索の産物でなければならぬ。尊厳な人間が一個の人格として扱われるごとく、須らく、一冊の辞書には編者独特の持ち味が、なんらかの意味で滲み出なければならぬものと思う。かような主張のもとに本書は成った。今後の国語辞書すべて、本書の創めた形式・体裁と思索の結果を盲目的に踏襲することを、断じて拒否する。辞書発達のために、あらゆる模倣をお断りする。

 本書の初版が発行されたのが1972年だ。その後も国語辞書ではないが、多くの植物図鑑がまさしく「先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成す」方法で作られていることを私は見聞きしている。親ガメがこけたら子ガメもこけている。