富岡多恵子「中勘助の恋」を読む

中勘助の恋 (平凡社ライブラリー)
 富岡多恵子中勘助の恋」(創元社平凡社から新装版)を読む。
 中勘助岩波文庫のベストセラー「銀の匙」の作者、夏目漱石の弟子、美しい幼年時代を描いた無垢でナイーブな人。その真の姿に迫った。
 とにかくハンサムでモテ男、親友の美しい奥さん(万世)から本当はあなたが好きだったと告白され、その親友の死後は彼女からプロポーズされる。またもう一人の親友安倍能成の奥さん(恭子)との仲を安倍から嫉妬される。作家の野上彌生子からもプロポーズされる。しかし、中勘助はすべてのプロポーズを断る。そして友人の娘(幼女)たちに恋着する。幼女らにラブレターを書き、大きくなったら結婚しようと言う。膝に乗せ頬にキスする。しかし、8歳だった親友の娘(妙子)が16歳になって中勘助を父代わりに慕った時(彼女の父は亡くなっていた)、陰で「ぼくのペット」と呼び、その娘がやはりプロポーズしてきたときは無視した。
 中勘助が本当に好きだったのはおそらく兄嫁(末子)だった。しかし中勘助は生涯にわたる兄との確執に苦しんだ。

 野上彌生子の日記が残されている。野上彌生子は軽井沢の別荘に40年ぶりに中勘助夫婦を迎える。この時、彌生子も勘助も66歳だった。彌生子は自分の姿に自信があると書く。

 とにかくかうしたよい条件で再会される幸福はめつたにありえない。またもう数年も遅かつたら私はもつともつと老ひさらばつた姿になつてゐたかも知れないから、かうした面会も味気ないだらう。私は老ひてゐても、彼に逢ふのを避け度いとおもうふほど見すぼらしく老衰してはゐないと思ふ自信がある。四十年の歳月は思想的には彼と私のあひだには大きな距離をこさえてゐるかも知れない。(略)ゲーテのマリエンバートの哀歌によつて、七十のゲーテになほこれほどの若い情熱が迸つたのをひとは驚ろくが、私にはいとも自然にさへおもはれる。

 13年ぶりに再読した。13年前は66歳の野上彌生子がまだ容姿に自信があると書いていたのを訝しんだが、その年齢に一回り下くらいに近づいた今は、さほど奇矯な発言には思われなくなっていた。

 富岡多恵子は優れた作家だ。一時期池田満寿夫と同棲していて、池田はその後アメリカ女性と同棲し、さらに佐藤陽子というバイオリニストと同棲している時に事故でなくなった。池田満寿夫はヴェネツイア・ビエンナーレ展の国際版画大賞を受賞し、ついで芥川賞ももらい、映画も監督して大きな成功を収めた人生だったが、ほとんど徒花だったと思う。優れていたのは富岡多恵子だった。