緑魔子はきれいだった。

 若い頃の緑魔子はきれいだった。モノクロのヌードの写真集「悪の華」が出版されて、欲しかったけれど高かった。妖しいエロティシズムを体現している女優だった。アイドルなんていう軽い存在ではなかった。
 初めて生の姿を見たのは佐藤信率いる黒テントの芝居だった。その頃は黒テントではなく、演劇集団68/71と言っていた。昭和47年、池袋の三越デパート横の空き地に黒いテントを張って、昭和3部作の「2月とキネマ」を上演したときだった。ラストで緑魔子演じる女優・浪子の台詞がオーバーでなく響き渡る。「そんなにロマンチックな目付きしないで!」(ここのところは出版された脚本を見て書いている)。客席が静まりかえったと思う。すごくカッコよかった! 口跡では舞台俳優に敵わないのに花があった。劇団の他の女優たちが霞んでしまった。
 ここで脱線。「花」と言えば「風姿花伝」の言葉で、今まで多くの論者たちが「花」の意味するものを解釈してきた。合理主義者の加藤周一は、「花とは集客力だ」とあっさり言い切った。
 さて、何年か前、世田谷パブリックシアター佐藤信演出のシェークスピアリア王の悲劇」を見に行った。リア王を演じたのは石橋蓮司だった。舞台は大きな階段だけでできていて、そこで全てが演じられた。石橋のリア王はとても良かった。幕が下りるとき、斜め前に座っていた少し老けた感じの女性が大きな声で「れんじい〜!」と叫んだ。それで彼女が石橋蓮司の奥さんである緑魔子だと分かった。その時60歳くらいだったか。何しろ30年ぶりにお目にかかったのだ。
 以前伯父の法事に行ったときのこと、従姉と40年ぶりに会った。昔は従姉を見上げていた。久しぶりに会った従姉は私に「まあ、○○さん、大きくなって…」と言った。彼女は私より頭一つ小さかった。
 さて、いったいmodestyな私は何を言いたいのか。