河合雅雄が語るインセストタブー

 以前もインセストタブーについて書いたが、もう一度河合雅雄を正確に引用して紹介したい。

子どもと自然 (岩波新書)

 河合雅雄「子どもと自然」(岩波新書)より

(前略)レヴィ・ストロースは「動物にはインセストを禁止する何の規則もなく、ここにおいてのみ、自然から文化、動物から人間生活への転換が見られる」といっている。つまり、動物と人間を峻別し、人間優位の立場が貫かれているのである。
 しかし、ニホンザルの個体識別に基づく長期観察により、ニホンザルの群れではインセストがほとんどないことがわかった。最も精密な観察を行った高畑由紀夫さんによると、嵐山の群れでの2051回の交尾観察例のうち、交尾回数は一親等でゼロ、二親等で2組5例、三親等で4組7例である。一親等といっても父親は不明であるから、母ー息子間であるが、これがゼロであるというのはすごいことだ。つまり、ニホンザル社会では三親等までインセストは回避されている、ということなのだ。
 この事実は欧米の研究者を驚かせたが、野生のチンパンジーでも同じ現象が確かめられた。チンパンジーは乱婚的である。雌が発情すると雄たちが周囲に集まり興奮の渦の中でつぎつぎに交尾が行われる。だが、フローという名の雌をとりまく性の饗宴に、2頭の息子は全く参加しなかったとJ. グドールは報告している。フローの娘のフィフィはグドールが性的淫乱症(ニンフォマニア)と称しているほど性的にアクティブだが、きょうだいとの性交渉だけは嫌って寄せつけなかった。また、ピグミーチンパンジーは性的動物といってよい特異な性活動をする類人猿で、雄は1歳半になると雌と交尾する。おとなの雌もそれを手伝い、加納隆至さんの表現によれば性教育をするという。しかし、母親と性的な関係をもつことは決してなく、ここでもインセストは完全に回避されている。
 なぜインセストが回避されているのか。この理由については高畑さんの仮説が説得的である。それは「雌雄間の親和性と性行動は拮抗的である」という仮説である。平たくいうと、雄と雌があまりに仲よくなりすぎると、両者の性衝動が抑制されるということなのだ。母と息子は生まれた時からずっと一緒で、最も親密な間柄である。また、きょうだい間も同じことだ。だから、その間には性衝動が抑制され、性関係が発生しない、ということになるのである。奇妙な説のように思えるが、家庭内での兄妹・姉弟の間には性衝動が起こらないことは、体験的にも理解できるだろう。また、イスラエルキブツのように、赤の他人どうしでも幼児から一緒に育てられたグループのメンバーの間では、青年期に達してから決して結婚が起こらないことも、この仮説を裏づけている。