上方商法は芸だね

 まず司馬遼太郎のエッセイ「上方についての小さな憂噴」から。

 東京で小さな貿易会社をやっている知人が、繊維の関係で京都に常駐するようになり、上方の商法に惚れこんでしまった。
「商売というより、芸だね」
 という。
 京都の飲み屋の奥の小さな座敷でのことである。東京と上方の商人が入りみだれるようにして、商談とも寄合酒ともつかぬ酒の飲み方をしているところへ、たまたま私が入ってきて、一座の末席にまぎれこむはめになった。
 席上、東京方は、最初から肝を打ち割って、原価はこれこれだから手前どもは何%の利益だけは確保したい、それ以下はだめだ、といっているのに、上方勢は肝を見せず、話題を容易に損得の核のなかに入れようとせず、その周辺で饒舌をつかい、冗談ばかり飛ばして相手の肝にさらに奥があるのかどうか、あるいはもっとうまい利益がひき出せないものかどうかなどと、耳もとに飛ぶ羽虫のように口さわがしくやっている。一方、東京方はほとんど沈黙していたが、ときどき上方勢の冗談が的を射たときに大笑いしたりして、ひどくだらしがなかった。
(なるほど、漫才が発達したはずだ)
 と、わが故郷ながら、上方の文化について感心してしまった。私は外野席だから、このゲームにかかわりはないのだが、上方勢の冗談の中に、ときどき凄味のある真顔が出るのがわかった。
(どうも、フェアでない)
 とおもい、故郷であるだけに、そのことに腹が立ってきた。
 この商談の場ともつかぬあいまいな場にあって、話をきいてゆくうちに、当初、かれらには仲間が別に二組いたらしいことがわかってきた。上方勢は、ただ利益の分配が自分に薄くなるために、その二組をこっそり外そうといっているのである。上方弁の修辞が巧緻に駆使されているために、東京方は何のことやらわからずに、ただ聞き惚れている。私は、上方人だから、その修辞の奥に何があるかがわかっている。
「そういうことをすると、道で出遭ったら殴られるぞ」
 つい口を出した。私も上方人だから、ついそんな戯画的表現を使ってしまう。「それはフェアでない」というだけで事が済むのである。
 すると、上方勢の番頭のひとりが、すかさず、
「鍋かぶって、おもて歩きますがな」
 といってのけた。どっと笑いが湧いて、この商売倫理のかんじんなところが吹っ飛んでしまった。
(中略)
 この一件は、貿易の話で、もともと、かれらの企てというのは、東京方のほうは、採算よりも志のほうがめだっていたし、さらには、私のような素人がきいていても、結局は大損になるだろうというのが目に見えるというたぐいのものだった。
 そのくせ、上方勢は欲がありすぎるためにひと足もふた足も乗ってくるのである。ただし自分だけはかすり傷ひとつ負わず、傷は東京方に負わせようとしているために、よりいっそう、饒舌と冗談が必要になっているようだった。このため上方勢は東京方の志にも修辞的には同調するしなをつくり、それを東京方が真にうけてしまっている。
「ちょっと待った」
 と、私はときどき通訳を買って出ねばならない。
「この京都の人がいっているのは、上方のあいまい言葉をたくさんならべているだけで、それをとっぱらって、英文和訳式に直訳すれば、こうなるんだ」
 といって、ときどき目を醒ましてやらねばならなかった。
「芸だな」
 と、東京方の一人が感心したのはそのあとだった。さらにあとのことだが、東京方は結局は上方勢の「魅力」にひきこまれ、共同で商売をやり、数年後にひどい目に遭った。上方勢も(中略)東京方以上のーー倒産同然のーーすがたでひっくりかえってしまった。東京方は志による自己催眠で倒れ、上方勢はおのが欲と修辞に倒れたといっていい。
(中略)
 私はその酒の席にまぎれこんだとき、東京方が、声をあげて上方商法の「芸」に感心しているとき、
「私は自分のところだから言えるのだが、この連中の商いは古いんだ」
 といった。
「これからの商売は東京式の書生商売がいちばんいいのに、この連中は江戸時代からやってきたとおりのことをやって、勝手に放電しているんだ」
(中略)
 ついでながら、右の上方論めかしい部分は、日本の他の地域から疎まれる大阪的露骨さとはべつの系列の主題である。この地に住み古したわれわれにすらときにうとましくなるようなあの即物的露骨さから、いいかげんにわれわれは卒業したいものである。

 さて、これは肥料会社で営業をしていた知人の話である。関西商人はとにかく値切ってくる。けっしてこちらの付けた値段では買わない。しかし、折り合いがつけば代金はきちんと払ってくれる。
 それに対して東北の商人は見積もりには何も言わないのに、集金に行ったときに値切ってくるんだと。
 私は東京で34年間会社勤めをしてきたが、「東京式の書生商売」が現代の商法だという指摘に強く同意するものだ。