寺山修司の「路地」論

 「三上のブログ」の三上さんが「路地」に興味を持っていると書かれていた(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20070304)。寺山修司も晩年「路地」に関する本を出す予定で、目次も作っていたとコメントしたら、その目次を知りたいと言われる。

寺山修司・遊戯の人 (河出文庫)

 杉山正樹寺山修司・遊戯の人」(河出文庫)より。

 席につくとすぐさま、かれ(寺山)は「路地」の執筆意図を説明しはじめた。(中略)
 ーーぼくらがふつう路地というと、両手を伸ばすとどちらかが塀に触れる幅だよね。ところが日本の近代はそういうものをどんどん無用化し封鎖してしまい、道は人間中心から車中心になって、散歩という思想を切り捨ててしまった。だから、人間が通れる道についてもういっぺん観察して、そこから人間の捉え直しをしてみてもいいんじゃないかと思った。文学や映画に描かれた路地あたりをひとつの手がかりにして、消えてゆく路地について考えてみたいんだな。一葉とか荷風の文学のなかの路地とか、落語や大衆演劇のなかの路地とか、滝田ゆうの「抜けられます」という表示がある路地とかさ。
 ーー路地というのは、表通りの喧嘩を解決する場所だったり、酔っぱらいがヘドを吐く場所だったり、じっくり別れ話をする場所だったりした。つまり、きわめて個人的な場所として意味をもっていたわけだけど、その突き当たりには、集合的な場所があった。たとえば、銭湯とかさ。銭湯がなくなってきたことと路地が減ったことは無関係ではないんじゃないかな。
(中略)
 ーーぼくはこれまで世界中の街で路地に注目してきたし、香港とかナポリとかニューヨークとか、イランの町とか、そこに住んでる人たちの生態も観察してきた。だから、それらを含めた世界の〈路地〉論と、文学や映画に描かれた路地と、東京のふたつの町に実際に居住して記録するドキュメントとで全体を構築してみたいんだな。……
(中略)ここでとりあえず、私の手もとに残っているかれ自筆の「路地」の目次を転記しておきます。


   「路地」(仮題)
      失われた路地をもとめて

1 総論 路地史       (50枚)
     (都市による路地の放逐の分析)
2 路地           (25枚×4)
  (1)洗濯物ーーイタリア
  (2)犯罪 ーー香港
  (3)塀  ーーイラン
  (4)老人 ーーニューヨーク
3 描かれた路地       (30枚×3)
  (1)小津安二郎、落語長屋の路地
  (2)山本周五郎滝田ゆうの路地
  (3)カフカボルヘスの路地
4 ドキュメント       (50枚×2)
  (1)東京都新宿区新宿二丁目7の4
  (2)東京都台東区山谷一丁目6の2
   附 資料 戦後消えた路地 一覧
     資料 戦後路地犯罪  一覧
      執筆 寺山修司
      取材 寺山修司高取英
      写真
      図版

 寺山修司論や伝記の類は20冊近く出版されている。私は数冊を読んだのみだが、杉山正樹によるこの寺山論はとてもいいものだった。杉山は「短歌研究」、旧「ユリイカ」、「文藝」の編集長を務めている。寺山とは彼が歌壇へデビューした18際の時からの古いつきあいだった。寺山が「のぞき」で警察につかまった経緯も書かれていて、無実だったことが理解できた。