稲作の起源、中尾佐助の誤り

 今西錦司グループの中尾佐助が好きでたくさんの著書を読んできた。むしろ中尾を通じて今西を知ったのだと思う。最初に読んだのが「栽培植物と農耕の起源」(岩波新書)だった。それから「照葉樹林文化」(中公新書)「続照葉樹林文化」(中公新書)「料理の起源」(NHKブックス)「秘境ブータン」(毎日新聞社)「分類の発想」(朝日選書)等々。中尾は初め稲の起源をインドのアッサム地方としていたが、「照葉樹林文化」では東亜半月弧に変更する。東亜半月弧とは中国雲南省南部とタイ北部、ビルマ北部あたりの三日月形の地域で、ここから日本西南部にかけてを照葉樹林帯と名付けた。稲はこの東亜半月弧の焼畑農業から始まったとした。
 焼畑の雑穀(ヒエ、アワ、陸稲など)から陸稲が選抜され、それを棚田に株分け(田植え)するようになったというものだ。
 照葉樹林文化は焼畑農業、モチ種の嗜好、ヒエ、アワ、ダイズ、アズキ、稲、サトイモ、茶等々の栽培、納豆、漆器がセットになっている文化複合だとした。とても魅力的な考え方だった。
 私は長く中尾佐助ファンだったが、それが一転アンチ中尾になった(少なくとも水稲の起源において)のは、池橋宏「稲作の起源」(講談社選書メチエ)を読んだからだ。

稲作の起源 (講談社選書メチエ)

稲作の起源 (講談社選書メチエ)

 池橋は元農林水産省水稲の育種の研究者だった。その経歴から、1年生の野生イネが湿地に種子で播かれて栽培化されるということが現実的でないこと。水田は特殊な栽培方法であり、焼畑から自然に水田が出来たと考えることは難しいこと。稲の変化の筋道は、野生イネー水稲陸稲であって、陸稲から水稲に戻ることはほとんど不可能であること、等を指摘する。
 結論として池橋は、栽培イネは中国長江下流域で根菜農耕文化から生まれたとする。住居の周囲の池に植えたサトイモとともに多年性の野生イネが選抜され、サトイモ同様に株分けされる。これが田植えの始まりなのだ。池の多年性イネの株分け、ここから水田での田植えという不思議な栽培形態へはほんの一歩だ。何という説得力!
 朝日だったか読売だったかの書評欄に藤森照信が「稲作の起源」を取り上げて大きな評価を与えていたが、藤森は縄文時代には稲作が伝わっていなかったと書かれていることに注目している。それは本書において小さなことなのだ。稲作が株分けから始まったということが驚くべき発見なのだ。
 稲の育種という現場にいた研究者がこれを発見したことに大きな意義を感じる。