以前の取引先のK部長は1950年代前半の生まれ。ハンサムで優しく性格も気さくでいい人だ。うちの会社の女子社員にも彼に憧れているのが何人かいた。何度めかに二人で飲んだ時のこと。
Kさんて、もてたでしょうと聞いた。あなたには悪いけど、俺はもてたよ。中学、高校、大学と、ずっともてた。でもねえ、素人としたのはカミさんが初めてだった。
今の若い人には信じられないかもしれないが、これが普通だった。例外はいつもあるけれど。
親しい友人でもう一人K君がいる。今では大企業の取締役だ。北海道大学へ入学して、同級生に「おめえ、どっから来たのよ」と聞いて相手に喧嘩を売られたのかと思わせたやつ。彼は「君、どこの出身ですか」のつもりだったのだ。われわれの田舎では皆ではないが言葉の悪いやつがいた。
で、そのK君のこと。大学へ入った後、高校時代から好きだった女の子と東京でデートすることになった。彼女は田舎の短大を卒業した後、東京の先生のところに住み込みで染色の勉強をしていた。
先生から、今夜は帰らなくていいのよと言われましたと彼女が言うのに、わがK君はお茶だけして終電に間に合うように彼女を帰したのだった。
さて、道徳について。
私たちは今の若者は道徳が乱れていると言いがちだ。そうだろうか。われわれの若いときの道徳は親たちから見たらやはり乱れていたに違いない。道徳の基準は親子で異なり、しかし次世代の道徳は必ず子の世代のそれが主流を占めるのだ。だったら、言うまい。子の世代の道徳は子の世代に任せるべきなのだ。それがどんなに許せないと思われても。