岡本太郎の書

 昔小田実が「アメリカ」という紀行文で、初めてアメリカに行った時アメリカの女性の美醜が分からなかったと書いていた。極端なのは分かる、中間が分からない。しかしそれもアメリカに何ヶ月も暮らすうちに徐々に両側から埋まっていって、最後は日本人女性を見るようにアメリカ人女性が見られるようになった。
 私は日本から出たことがないのでこの経験はないが、これはたいていのことに当てはまるのではないか。絵でも本当に良い絵は誰でも分かるだろう。極端にひどい絵も分かる。経験を深めていくことによって中間部分がだんだんに秩序つけられていく。そう言う枕を振っておいて苦手な書について書いてみる。
 中公文庫から「文芸誌『海』精選短篇集」が発行された。今はない「海」に掲載された「海」らしい短篇のアンソロジーとのこと。石川淳武田泰淳田中小実昌吉行淳之介等17編の短編が集められている。


 この文庫の表紙デザインが岡本太郎の書「海」を使っている。この書が岡本太郎の絵と共通のものを感じさせる。ひと言で言い難いが、何か品が良くない、けれんみが強い、見栄えばかりを気にしている。
 そんな偉そうなことを言うのも、小松茂美天皇の書」を読んだからだ。ここに紹介されている45人の天皇のトリを飾るのが昭和天皇の書。それは「日本国憲法」に署名された「裕仁」の2文字。



 じつは、昭和天皇の宸翰(しんかん)は、宮内庁において在位中はむろんのこと、崩御後も公表されていない。また、市井に流布するものも皆無。私(小松茂美)の六十年に及ぶ書跡研究の生活の中においても、全くの未見。よって、本著の末尾を飾る、この項においても、掲げた図版を唯一の片鱗とせざるを得なかった。
 わずか二字の漢字にすぎない。この二字を天皇八十有余年の一代に、いったいいくたび書写されたことか。その計上は及ぶべくもない。なれば、この、ただ二字の「御名」は、筆跡の個性が「型」を形成したものといえるのではないか。印刷などで見た署名も、すべて一様、寸毫の狂いもない。生涯、全くの同形不変の書である。すべて濃墨を駆って、沈着な運筆の中に寛綽(かんしゃく:しずかにしてゆるやか)の度が漂う。