朝日新聞の劇評「タンゴ・冬の終わりに」

 清水邦夫作、蜷川幸雄演出コンビの代表作の一つがよみがえった。60〜70年代を共に過ごし、政治闘争の熱さと、挫折の苦さを共有した世代の思いが投影された戯曲である。だが今回、作り手と親子ほど年の離れた堤真一らが演じることで、作品は特定の時代から解放され、みずみずしく輝いた。これは美しく哀切な、青春への挽歌。若さとその終焉をめぐる物語が心を揺さぶる。
 日本海に面した町の映画館が90人近い若者で埋まっている。おびただしい歓喜、怒り、悲しみが息づき、「若さ」が雪崩のように迫ってくる。この冒頭場面に圧倒される。
 彼らが消えると、さびれた客席に男が一人うずくまっている。スター俳優だった清村盛(堤)。3年前に「美しい人は若くして死ぬべきだ」と引退し、妻ぎん(秋山菜津子)と生家の映画館に帰ってきた。いまは精神を病み、幻の孔雀を追い求める。そんな盛を救おうと、ぎんは彼のかつての恋人・水尾(常磐貴子)を呼び寄せる。夫の連(段田安則)が追って来る。
 盛の周りでは、美と死が対になっている。少年時代に盗んだ孔雀の剥製。入水した姉のきれいな死に顔。演じたレジスタンスの青年が最後の朝に聞くタンゴ……。盛は若さを失うことを拒否した。老いを恐れたのではなく、大人になるのを拒んだのだ。彼はついに美と理想の象徴である孔雀を抱きしめる。その行為もまた、死に結びつく。
 そんな男を堤が鮮烈に演じる。狂気と正気の往還を繊細に表現し、再会した水尾を新たに愛し始める初々しさなど、どの場面も眼を奪う。秋山は夫を守る覚悟の強さ、女の情愛と悲しみを切れ味良く見せる。
 盛と対照的な男たちにも魅力がある。段田からは、凡庸な男の美しい妻への切ない愛があふれ、家業の映画館を継いだ盛の弟・重夫(高橋洋)の誠実さは、劇にぬくもりを与える。
 それにしても、無残な結末の舞台が、なぜこんなに甘美なのだろう。盛という男を通して、誰もが胸にしまっている何かに挫折した思いと悔恨が、激しく、やさしく弔われるからかもしれない。
編集委員・山口宏子)朝日新聞・2006年11月13日夕刊



 いい劇評だ。これでは見ないではいられない。しかし、チケットは発売日にすぐ完売し入手できなかった。くやしい。
 初演の22年前、1984年の舞台も見事だった。平幹二朗を忘れない。蜷川は清水と組んだ時だけすばらしい舞台を見せてくれる。
 35年の観劇経験の中で最高の芝居だった。