彫刻家内藤伸

 先週の「開運!何でも鑑定団」に内藤伸の木彫の鳥が出品され高額の鑑定がされていた。
 内藤伸は明治15年生まれの彫刻家で島根県の出身、帝国美術院の会員で昭和42年に亡くなった。
 仕事の関係で内藤伸のお孫さんだという内藤一彦さんを知った。一彦さんは映画に関係する仕事をされていて、彫刻には縁がないが、伸の息子で一彦さんのお父さんも彫刻家だったという。名前を失念したが、たしかに美術家年鑑だったかに載っていた。
 一彦さんによると、おじいさんの伸は最初から木に直接ノミを振るったが、お父さんは最初に粘土で形を作り、それを見ながら木を彫っていったという。おじいさんの方が巧かったですね。しかしお父さんは早くに亡くなってしまう。晩年の伸は脳出血か何かで片手が不自由になり、一彦さんにノミを持たせて自分は槌を持って彫刻したという。(その逆だったかもしれない。)
 ある時島根県の内藤家に×郷×児が訪ねてきた。伸が不在だったので一彦さんに菓子折を渡し、駅前の旅館に滞在していると伝えてくれと言った。帰宅した伸が菓子折を開けると札束が入っていて、一彦さんはそれを×郷に返しに行かされた。
 この時すでに帝国美術院は日本芸術院となっていたが、会員は定員制で終身会員だったので、誰かが亡くなった時だけ会員の推薦で新しい会員が選ばれた。×郷は会員に選ばれたくて島根県まで札束を抱えて出かけて行ったのだ。
 ×郷×児の絵をもし誰かがくれたら、すぐに売って野見山暁治の絵を買ってしまうだろう。