山本弘遺作展の展評(7)

山本弘遺作展」by匿名(M)


51歳で縊死した画家山本弘(1930〜81)の年譜をたどっていくと、その無頼の生きざまに胸ふたがれる重いがする。15歳で予科練に入隊後、2か月で終戦を迎え、もうそのころから死にとりつかれベルトで首をくくるが、その古いベルトが切れて死にきれなかった。
絵画制作、詩作、読書に没頭する。18歳で上京、造形美術学校(現武蔵野美大)に学んだが中退、5年後には郷里の長野県飯田市に帰り酒びたりになった。幾度も自殺をはかり、友人たちからは狂言自殺などと評判をたてられ、また無謀な自殺行為に走るが、死にきれない。ついにアルコール中毒で半身不随に陥り、飯田病院精神科に入院。その後も入退院を繰り返した。
「シーツを破って鉄格子にくくりつけ 首をくくり舌をかんだが失敗 死が嘲ってる 夏の夕 鉄格子の中に孤独感8カ月 死はお向かいさんからやって来ない 生きることの恥ずかしさ 人皆そうでもないようなのに」
「影の強さ 色がないから 毅然として影は生きている 自然でも自虐でもない 私はそれを描くのだ 色の見えなき影の強さ」
画家の病院での詩作だ。
主たる発表の舞台は、東京都美術館での日本アンデパンダン展だった。40歳を過ぎて、具象的な表現を離れ、内面の心象を抽象的に画面に刻印するようになった。そして、画家の遺した画面は無頼とも荒廃とも無縁だ。常に死と隣り合わせながら、みずみずしい詩魂を保ち続けたのだろう。
青のたゆたいの中に、詩魂のふるえのような線が走る。魂の火花が散るかのような清冽な画面である。
(「産経新聞」1995年7月30日)