ユクスキュル『生物から見た世界』を読む

 ユクスキュル『生物から見た世界』(岩波文庫)を読む。1973年に思索社版が出て、生態学では必読とされた。読もう読もうと思っていたのに今まで読んでいなかった。2005年に岩波文庫版が出て、それから20年経ってようやく読んだことになる。

 冒頭マダニの生態が紹介される。マダニのメスは交尾を終えると適当な灌木の枝先までよじのぼる。長期間待って哺乳類が通りかかった時、その皮膚腺から漂い出る酪酸の匂いに反応して獲物の接近を知り、温度感覚が教えてくれる温血動物の上に落ちる。獲物の皮膚組織に頭から食い込みマダニは血液を吸う。十分な吸血後マダニは地面に落ちて産卵し死ぬ。

 ダニは獲物が通りかかるまで食物なしで長期間生き延びることができる。18年生き延びたという記録がある。ダニと人間の世界は全く異なっていることが分かる。人間にとっての世界=部屋とイヌにとっての部屋とハエにとっての部屋の違いを図示している。人間にとってテーブルと椅子、テーブルの上の皿とグラス、ソファ、本棚、照明器具などはそれぞれ十分な意味を持っているが、イヌにとってはテーブルの上の皿とグラス、椅子とソファくらいしか興味がなく、ハエにとっては、皿とグラスと照明器具のほかは意味がなく認識の対象とならない。

(右下:人にとっての部屋、左上:イヌにとっての部屋、左下:ハエにとっての部屋)

 

 生物によって認識する世界が全く異なるという考え方はこのユクスキュルから始まったのだった。ユクスキュル、そしてコンラート・ローレンツ生態学が世界の新しい認識を教えてくれたのだった。

 

 

 

CCAAアートプラザの「紙神の遊び:朝倉俊輔+柳井嗣雄二人展」を見る

 東京四谷のCCAAアートプラザで「紙神の遊び:朝倉俊輔+柳井嗣雄二人展」が開かれている(7月15日まで)。

 柳井嗣雄は1953年山口県生まれ、1977年創形美術学校版画科を卒業し、その後パリでスタンリー・W・ヘイターに師事。今回は繊維を編んだ大きな立体を展示している。「非在の壁」とか「地上のリゾーム」と題されていて、とても魅力的な造形だ。

「非在の壁」

「記憶と情念」

「地上のリゾーム



 朝倉俊輔は1957年福井県生まれ、福井大学大学院教育学研究を修了している。和紙を素材とした平面、立体の作品を制作している。

「トライアングル」



 このCCAAアートプラザは元四谷第四小学校の跡地で、東京おもちゃ博物館と同じ建物の地下にある。

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「紙神の遊び:朝倉俊輔+柳井嗣雄二人展」

2024年6月22日(土)―7月15日(月)

10:00-19:00(木曜休廊)

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CCAAアートプラザ

東京都新宿区四谷4-20

電話03-3359-3413

 

東京芸術劇場ギャラリー2の松尾多英個展を見る

 東京池袋の東京芸術劇場ギャラリー2で松尾多英個展「砂」が開かれている(6月30日まで)。松尾は1947年生まれ、1970年にフランスの美術学校を修了している。1983年から砂丘・風紋を発表し始め、1995年から「砂」の100号の連作を発表している。


 今回はF100号の大作を20枚並べている。左右2620cm、つまり26メートルもある超大作だ。松尾は世界の砂漠を取材しているが、どこまでも続く「砂」の運動・姿の変容を表現するためには、100号作品を横にずっと繋げる連作にしなければならないと考えた、とカタログに書いている。

 松尾多英といえば2017年に亡くなった奥田敏夫さんを思い出す。神田神保町でやっている松尾多英展が良いから見に行ってと言われたことがあった。だから私にとって松尾多英=奥田敏夫なのだ。

 奥田さんは東大で本江邦夫さんと同級生だった。二人はセクトが違ったので深い付き合いはなかったと言うが。奥田さんは本江さんのことをアイツは頭が悪いと言っていた。本江さんは多摩美の教授で長く府中市美術館の館長だった。本江さんも口が悪く、建畠晢さんのことを頭が悪いと言ったり、ワシオトシヒコさんのことを教養がないなどと言っていた。奥田さんは7年前に肺がんで亡くなってしまったが、生前もっといろいろ話しておけばよかった。藍画廊で開かれていた読書会で奥田さんの優れた読解を聞くのが楽しみだった。松尾多英展を見ると奥田さんのことを懐かしく思い出す。

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松尾多英個展「砂」

2024年6月17日(月)―6月30日(日)

10:30-19:00(初日は12:00~)6/24は休館日

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東京芸術劇場ギャラリー2

東京都豊島区西池袋1-8-1

電話03-5391-2111

 

ギャラリー惣の横田節子展を見る

 東京銀座のギャラリー惣で横田節子展が開かれている(6月29日まで)。横田節子は1934年群馬県生まれ、60歳から絵を描き始め、70歳でギャラリー汲美で初個展、最近は毎年ギャラリー惣で個展を開いている。



 横田は紙に水彩で描いている。まったく年齢を感じさせない若々しい絵だ。1934年生まれということは今年90歳になる。本当に信じがたい作風だ。横田を見れば人は年齢を理由に言い訳を言うことはできないことが分かるだろう。毎年横田の個展を見られることは励みになるというものだ。いつまでも元気で個展を続けてください。

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横田節子展

2024年6月24日(月)―6月29日(土)

11:00-18:30(最終日16:30まで)

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ギャラリー惣

東京都中央区銀座7-11-6 徳島新聞ビル3F

電話03-6228-5507

http://www.gallery-sou.co.jp

 

熊野純彦『サルトル』を読む

 熊野純彦サルトル』(講談社選書メチエ)を読む。熊野純彦廣松渉門下の優れた哲学者、サルトルは若い頃夢中になって読んだ哲学者、では読まずばなるまい。それにしても熊野純彦はドイツ哲学が専門でレヴィナスの研究者なのに、サルトルに対するこの理解力は何なのか。難解な廣松渉の一番弟子という優秀さのせいなのか。最近は『本居宣長』に関する大著もあるほどだ。

 サルトルは哲学者にして小説家、劇作家、政治思想家等々の側面をもっている。熊野はサルトルの哲学的側面を取り上げる。それも主著『存在と無』に注力し、後期の『弁証法的理性批判』については、「現在の眼から見てこの浩瀚な著作が巨大な失敗作であったことはほとんど覆いがたい」(「おわりに」)と、切り捨てる。

 サルトルは対自存在と即自存在を追求する。いっさいの意識はなにものかについての意識である。言いかえれば超越的な対象の定立ではないような意識は存在しない。意識が、みずからを超越して自体的に存在する対象についての意識であることは、意識が即自としてのその対象を定立することとひとしい。対象についての定立的な意識のうらがわには非定立的意識が貼りついている必要がある。

 やっぱりすごく難しい。それでも今まで読んだサルトル論のうちでは最も分かりやすく魅力的だ。おそらくもう『存在と無』を読み直すことはないだろうから、本書を何度か読み直さなければならないだろう。