原和の祥月命日

 友人の原和(はらかず)が19年前の今夜(13日の深夜〜14日にかけて)亡くなった。亡くなる直前の夜9時頃電話をしてきて、54年付き合ってくれたけどさよならと言った。酔っていてろれつが回らなかった。ぐでんぐでんだった。20歳の頃から死ぬ死ぬと言っていた。青木ヶ原へ入って死ぬとか言っていた。いつも言っていたからまたかと思って、勝手に死ねと答えた。娘が心配して、原さん死んじゃうよ、私電話していい? と言うので、電話してやってと言った。別室で電話していた娘が戻ってきて、酔っていて何を言っているのか分からないと言う。

 まさかと思っていたが、翌日の昼、職場の女性から外出先の私のケータイに電話がかかってきた。友だちのハムさんと言う人から電話があって、原さんが亡くなったそうです。

 実家に帰っているカミさんに公衆電話から電話をした。電話をしながら泣いてしまった。すぐ帰るとカミさんが言った。受話器をフックに戻したとき、手が受話器から離れなかった。強く握って硬直していたのだ。

 深夜12時近く、原和の住む飯田市の風越山麓の小さな一軒家から出火して家は全焼した。焼け跡から仰向けの大人の遺体が発見された。家は四囲の壁を除いてすべて焼け落ちていた。

 亡くなったあと親しくしていた2人の女性が異口同音に、やっと死ねたのね、良かったねと言った。原、良かったなあ、やっと死ねて。こんな娑婆におさらばできて。長い間苦しかったよな。

 カミさんが言う。原和はあの世なんか行かないわよ。風越山の頂上に登っていって風と遊んでいるわよ。

 

飯田市の西には風越山が位置して、東を南北に流れる天竜川に真向かっています。風越山麓の東斜面の高台にひっそりと山荘のような一軒家が建っていました。1月の夜、空を見上げれば中天にひときわ明るい星が輝いています。おおいぬ座シリウスです。シリウスギリシャ語で焼き焦がすもの、光り輝くものを意味します。何年か前の冬の夜、シリウスはこの一軒家を選び突然その輝く光で焼き焦がしました。炎は山荘を包み、山荘は四囲の壁を残して燃え尽きました。その時炎とともにひとつの魂が去ってゆきました。山の稜線に沿って高いところへ、ここではない違う世界へ。星の王子さまは自分の星へ帰るとき、砂漠で毒蛇に体を咬ませます。僕のことを悲しまないで、重たい体は持っていけないのだからと言って。だから何も悲しいことはないのです。いまその魂は風越山の頂きあたりで風と戯れています。ほら、かすかに木立のさやぐ音が聞こえるでしょう。

 

 友人から別れの電話があった夜、彼の住む大山荘が全焼し友人が遺体となって発見された。3日後の葬儀の日は底まで見通せるような快晴で終日凍てついていた。葬儀の後焼け跡を訪れて薔薇の花束を手向けた。翌日飯田には珍しく大雪が降り世界を真っ白に変えた。

 

空荒れる君の心か道凍れ

珍しき大雪の降る君死ねば

もっと降れなまじの雪では鎮まらぬ

焼け跡に君を鎮めて雪積もれ

鎮魂の薔薇を沈めて雪積もる

わが妻が君に手向けし花束を深く埋めて雪よ降り積め

燃えていた君の身体をかすかにも冷ましくれるか雪の降り積む

 

原和の1周忌に

 

友人の一周忌に

渦を巻く炎に乗って君は去り風越(かざこし)の峰木立さやげり

 

友人の住居址に立って

谷に向く君の姿に重ねれば朝ごとに見し君の視界が

 

酒瓶にひそと沈める黄なる実の焼け跡近く花梨立ちたり

黄金なる花梨をひとつ手に載せて業火と煙の記憶を問えり

かりん二つ君が賜いしものなれば酒瓶の底静かに沈めん

谷間に君の墓立ち振り向けば天竜遙か風越の山

 

 今までで一番悲しかったのが、原和、君の死だった。

 私は君のことをいつも「原」と呼んでいた。君は私のことを「フナザワ」(私の旧姓)とか、「君」とか「お前」って呼んでいたな。原和、君と親しい友人だったことを誇りに思っているよ。まだ風越山の頂きあたりで風と戯れているかい。

 

 

佐野洋子『覚えていない』を読む(再掲)

 佐野洋子『覚えていない』(マガジンハウス)を読む。主に1990年前後に雑誌等に掲載されたエッセイなどを集めたもの。佐野を読む面白さは、女性の極論的本音を知ることができると思われるからだ。

 佐野が、テレビのアナウンサーが、年取って容貌がおとろえた事を理由に番組を下ろされ、それを女性差別だと言って訴えて戦っていたことについてコメントしている。

 

……ちょっと待ちなよ、オバサン。あなたがアナウンサーに採用された時は、あなたの能力のうちに容貌というのもしっかり入っていたのだよ。同じ能力あるいはちょっと上回る能力を持っていたライバルたちをあなたの容貌という武器でけ落として勝ち抜いたのだよ。その時、あなたは、私の容貌が点数のうちに入っていたら、それを差し引いてくれとはたのまなかったはずだ。だったら、年取って能力が低下したんだったら、それはマイナス点になっちゃうんだよ。

 

 真冬に群馬県の山小屋に友人のさくらさんと行った。雪が降って美しい景色だが退屈なので、ベストセラーになっていた渡辺淳一『うたかた』上下2巻を買って、さくらさんと2巻を別々に読み始める。

 

「ねぇ男がね教えるの。”その先に見えるのが大島だ”」。宿屋でもったいぶって、”大島だ”と教えている男を想像するとおかしい。「キャー大変」私は下巻を読み上げる。「安芸は裾を左右に分かち徐々におしあげると2本の白い肢の彼方に黒々とした叢が見える。安芸はいったん手をとめ、それから懐かしいものに出会ったようにうなずく」「あんなものの前で、うなずいている男って想像できます?」「今度は食べ物よ。何だらかんだら”えんがわが添えられているのも嬉しい”嬉しいのよこの男は。”和食は目でも食べる”この男全部講釈たれるの」「女笑ったりしないの」「しないわよ、”お料理もデザインですね”なんて答えるの」「ちょっと恥しくなってきたわよ、この男、着物着てでかけるわよ、真夏に、銀座四丁目に”白の上布を着て素足に草履を履いて家を出た”やだこんな男と銀座あんた歩ける? やだ女も着物着てきた。(後略)」

 

 「華やかな荒野を」という小篇がある。これは作家森瑤子との交友録でとても良いのだが、今回は省略する。

 

 

 

谷川俊太郎『女に』を読む

 谷川俊太郎『女に』(集英社)を読む。詩が谷川俊太郎、絵が佐野洋子。本書の初版はマガジンハウスからで1991年だった。谷川はこの前年1990年に佐野洋子と3回目の結婚をしている。この時谷川は59歳、佐野は2度目の結婚で52歳だった。

 『女に』は佐野と結婚して翌年に発行された。詩集の最初から最後まで幸福な結婚生活が綴られている。

 

 未生

 

あなたがまだこの世にいなかったころ

わたしもまだこの世にいなかったけれど

私たちはいっしょに嗅いだ

曇り空を稲妻が走ったときの空気の匂いを

そして知ったのだ

いつか突然私たちの出合う日がくると

この世の何の変哲もない街角で

 

 

 血

 

星空と戦って

あなたが初めて血を流したとき

私は時の荒れ野に

種子を蒔くことをおぼえた

そうして私たちは死と和解するための

長い道のりの第一歩を踏み出した

 

 これは初潮と初めての精通を詠んでいる。

 

 会う

 

始まりは一冊の絵本とぼやけた写真

やがてある日ふたつの大きな目と

そっけないこんにちは

それからのびのびしたペン書きの文字

私は少しずつあなたに会っていった

あなたの手に触れる前に

あなたの魂に触れた

 

 谷川が最初に佐野を知ったのは、佐野の絵本とそこに載っていた佐野の写真だったのだろう。

 そして性愛の詩が続く。

 

 指先

 

指先はなおも冒険をやめない

ドン・キホーテのように

おなかの平野をおへその盆地まで遠征し

森林限界を越えて火口へと突き進む

 

 唇

 

笑いながらできるなんて知らなかった

とあなたは言う

唇はとても忙しい

乳房と腿のあいだを行ったり来たり

その合間に言葉を発したりもするのだから

 

 後生

 

きりのないふたつの旋律のようにからみあって

私たちは虚空とたわむれる

気まぐれにつけた日記 並んで眠った寝台

訪れた廃墟と荒野 はき古した揃いの靴

地上に遺したわずかなものを懐かしみながら

 

 しかし二人は数年後に別れる。

 佐野の描いたイラストの男は頭が禿ている。はて、谷川俊太郎って禿だったっけ?

 

 

 

青柳いづみこ『ヴィンテージ・ピアニストの魅力』を読む

 青柳いづみこ『ヴィンテージ・ピアニストの魅力』(アルテスパブリッシング)を読む。ヤマハの会員誌『音遊人(みゅーじん)』に2012年から連載したもの。執筆時点でおおむね75歳以上のピアニストをヴィンテージ・ピアニストとして取り上げている。その数40人。知らないピアニストも何人もいる。

 詳しく紹介している人もそっけない人もいる。アリス・アデールは知らなかった。1945ン年生まれのフランス出身、アンサンブル・アデールを設立とある。アデールについて、

 

……どちらかというとコンテンポラリーの専門家と思われていたが、2007年に突然バッハ『フーガの技法』の見事なアルバムをリリースし、識者をあっと言わせた。(中略)

 2012年には、ラヴェルピアノ曲全集がリリースされた。録音はその10年前なのだが、まさに今、世に問うべき録音という気がする。『夜のガスパール』『鏡』『クープランの墓』。腕自慢のピアニストたちによって荒らされてきた作品が、すっかり洗いなおされ、テキストそのものとして立ちあらわれる。つくりすぎの厭らしさもナルシシズムの影もない。なかでも、「スカルポ」がこれほどまでに名人芸の垢をそぎ落とされ、喚起力豊かに弾かれたのを聴いたことがない。

 

 ルース・スレンチェスカについて。スレンチェスカは1925年アメリカ生まれ。

 

……82歳のときにはクララ・シューマンが使用した1877年製グロトリアン・スタインヴェグによるアルバム、84歳でブラームス晩年の小品を集めたアルバムをリリース。いずれも至芸ともいえる名演だ。

 

 そんなに言われたら、ブラームスの小品集は買うしかないだろう。

 フー・ツォンは1934年中国生まれ、1955年ショパン国際ピアノコンクール入賞。2020年に亡くなる。「……ほぼ独学のフー・ツォンは、生涯を通じて体系的な技術の不足とそれに派生する手の故障に悩まされた」。

 最後に自分自身青柳いづみこも取り上げられる。

 

 

 

 

ガルリSOLの松尾玲央奈展を見る

 東京銀座のガルリSOLで松尾玲央奈展「列なり逢う想い」が開かれている(1月21日まで)。松尾は1984年、福岡県生まれ。2007年に女子美術大学芸術学部立体アート学科を卒業し、2012年に同大学大学院美術研究科美術専攻後期博士課程を修了している。初個展は2007年ガルリSOLで行い、以来もう10回を超えている。そのほか女子美アートミュージアムや銀座gallery女子美など多数個展を開いている。

上の作品の部分


 松尾は金属で奇妙な形を作っている。それは機械に似ているのではないか。松尾に好きな作家を尋ねるとジャッドだという。なるほど、造形的に共通点は感じられるが、コンセプトとしては真逆だろう。ジャッドは徹底して作品から意味を捨象しているが、松尾の作品は意味に溢れている。

 今回球が数多く使われていて、その素材を尋ねるとコンクリートだと言う。鉄とアルミとコンクリートで作られた松尾の造形はほとんど誰にも似ていない。連想するのは近代的な工場設備ではないだろうか。ユニークで魅力的な作家なのだ。

 奥の小部屋には囚人の足に付ける鉄球と鎖を作品化した小品が展示されている。これも面白かった。

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松尾玲央奈展「列なり逢う想い」

2023年1月9日(月)-1月21日(土)

11:00-19:00(最終日17:00まで)日曜休廊

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ガルリSOL

東京都中央区銀座1-5-2 西勢ビル6F

電話03-6228-6050

https://galerie-sol.com/