コバヤシ画廊の渋谷和良展を見る

 東京銀座のコバヤシ画廊で渋谷和良展が開かれている(9月17日まで)。渋谷は1958年東京生まれ、1981年に東京藝術大学美術学部油画科を卒業し、1983年に同大学大学院美術研究科版画専攻修士課程を修了している。2002年から1年間、文化庁在外派遣研修員としてドイツベルリン芸術大学およびマールブルグ大学にて研修。1996年に柳沢画廊で初個展、その後ドイツや日本各地の画廊で個展を行い、2019年からは毎年コバヤシ画廊で個展を開いている。

「深淵の記憶」



 今回画廊の正面壁に大きな作品「深淵の記憶」が展示されている。左右454.6cmの大きさ。この場合、深淵は深い海底でもあるのだろうか。そんなことを考えるのも澁谷が三浦半島の海に面した地にアトリエを構えていると聞いたことがあるからだ。渋谷の作品にはしばしば海のイメージが描かれているように見える。抽象的作品でありながら、荒れ狂ったり穏やかだったりする海がモチーフとして登場する。

 この「深淵の記憶」もただ深い水底というよりは、荒れた海の怒涛が影響しているような蠢いている海底を表しているのかもしれない。動いている海底=深淵のようだ。

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渋谷和良展

2022年9月12日(月)―9月17日(土)

11:30-19:00(最終日17:00まで)

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コバヤシ画廊

東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1

電話03-3561-0515

http://www.gallerykobayashi.jp/

 

村上慧『家をせおって歩いた』を読む

 村上慧『家をせおって歩いた』(夕書房)を読む。先日読んだ絵本の村上慧『家をせおって歩く』の日記編。2014年4月5日から2015年4月8日までの1年間、村上は家をせおって東京から東北を経て日本海沿いに大阪、神戸まで歩き、そこからフェリーで大分へ渡って宮崎まで歩いている。その間ほぼ毎日日記を描いていた。歩いている道路事情、会った人たち、家を置いた場所、泊まった場所、その膨大な記録だ。全体が300ページだが、1ページ上下3段組だから、最新刊の岩波新書に換算すると500ページ近くになる。

 村上が発砲スチロールで作った家を背負って歩いて行く。だが、泊まるために家を置く場所は、公園や道路には勝手に置くことができないので、お寺や神社やお店などに毎回交渉して置かせてもらっている。毎回新しい土地で家を置く場所の許可を求めて交渉していく。家の場所が決まると、コンビニなどで食料を調達し、トイレを借り、銭湯などを探して風呂に入る。電車に乗って銭湯に行くこともある。

 東京を出発し、取手からつくば、水戸、常陸太田、そして原発事故の双葉郡富岡町、家をトラックに積んでもらって枝垂れ桜で有名な三春町、福島市、仙台にまで行く。石巻あたりは訛りが強い。陸前高田、大船渡、八戸、十和田では十和田現代美術館へ行ってみた。大湯温泉では家の設置をどこでも断られた。落ち込んでいたらホテルが許可してくれた。そんな調子で秋田県に抜ける。8月10日に酒田市に入る。8月23日新潟県に入る。9月に長野県に入り、松代町へ。「まつしろ現代美術フェスティバル」に参加して展示する。新潟県へ戻り、上越市へ。親不知、高岡市金沢21世紀美術館鯖江市、10月29日越前市、琵琶湖から京都~奈良、11月19日木津川到着、ギャラリーOut of Placeの津嘉山さんに会ってギャラリーの敷地に家を置かせてもらった。私の知っている津嘉山さんが出てきてびっくり。

 11月28日に大阪に入る。12月8日西宮、12月16日六甲からフェリーで大分へ渡る。特別に手荷物扱いで特別料金なしだった。正月は一時東京の実家へ帰り、1月6日に大分へ戻る。宮崎市では病院で診察を受けたが何ともなかった。2月23日宮崎港からフェリーで神戸へ、いったん家を神戸に置いて、東京に戻る。病院と整体に行く。3月10日軽トラックで家を東京の実家へ動かした。

 

 

 

瀬古浩爾『定年後に見たい映画130本』を読む

 瀬古浩爾『定年後に見たい映画130本』(平凡社新書)を読む。その「まえがき」から、

 

 いま、わたしが見る映画は、単純におもしろそうだなと感じるものばかりである。本書で選んだ映画ももっぱら「おもしろさ一番」である。もう見栄を張ることも、強迫観念に駆られることもない。めんどうくさそうなものは最初からお断りである。とはいえやはり、ある程度の「名画・名作」は入れてある。「名画・名作」も映画だからである。

(中略)

 見る映画は、人間ドラマ、ミステリー映画、刑事映画、戦争映画が多い。恋愛映画、ホラー映画、SF映画以外はほとんど見る。それも多くは洋画である。日本映画は少ない。

 

 瀬古は、そういう基準で選んでいる。私とは真逆の趣味みたいで、瀬古の選んだ130本のうち、私が見た映画はたったの6本だった。

 さて、選んだ映画について瀬古が語っている。

 

イージー・ライダー』(デニス・ホッパー監督)

 ギョロ目でおもしろいやつだな、と印象に残った。当時見たときは、ラストシーンが衝撃的で、それにだまされたが、いま見ると、映画としてはそれほどよくはない。深刻ぶったシーンもあるが、ほぼ無意味。

 

エルビス・オン・ステージ』(デニス・サンダース監督)

 いまからほぼ50年前の映画だが、歌も映画もまったく古びてない。この当時はプレスリーの絶頂期といっていいのではないか。「スィート・キャロライン」など、いまでもラグビーのW杯で歌われている。

 

ダイ・ハード』(ジョン・マクティアナン監督)

 交渉力を擁する人質のエリート社員や、ロサンゼルス警察の無能警視や、テレビに出てくるような知識だけの無能専門家らが、映画でこけにされる。テレビ局の横暴さも描かれる。『ダーティーハリー』のキャラハンはシャレているが、(本作の)マクレーンは煮しめランニングシャツ1枚で泥臭く駆けずりまわるところがいい。いま見ても、現在の並みの映画を軽く凌ぐほどおもしろい。超派手でやりたい放題である。こうなるとアメリカ映画にはとてもかなわない。

 

ブラック・レイン』(リドリー・スコット監督)

 封切当時は相当話題にもなり、そこそこおもしろい作品だと思った。なにしろ我らが高倉健松田優作リドリー・スコットの映画に出ているのだ。ところが見直してみると、映画としては幼稚で二流だったのである。これは見るたびに評価が下がっていく映画だ。

 

異人たちとの夏』(大林宣彦監督)

 (原田が若くして死んだ父親と浅草の寄席で会う)。途中で断ち切られた家族が、もう一度、家族を再開する幻の物語だ。(中略)両親との別れのときがくる。浅草今半での最後の場面は、わたしの映画史のなかで最高の場面のひとつである。父と母が子を思う言葉と、子が父と母に述べる感謝の言葉は至極である。

 

韓国映画について

 そして発見したのである。社会派映画を撮らせたら、韓国映画に勝るものはない、と。実際、『弁護人』と『1987、ある闘いの真実』の2作品には度肝を抜かれた。質量ともに、韓国の社会派映画は現在、世界一であるといっていい。社会派といっても、1980年代までの韓国の軍部独裁政治にかかわるものである。もしまだ未見の人がいるなら、だまされたと思って、まあ一度見てやってください。

 

 

ブラックホーク・ダウン』(リドリー・スコット監督)

 モロッコで撮影したらしいが、ソマリア民兵たちの不気味さが、本物を使っているんじゃないかと思わせるほどリアルである。いやはや、本物の戦闘シーンかと見まがうほど凄まじい。わたしが見た戦争映画のなかではベスト3に入る。

 

プラトーン』(オリバー・ストーン監督)

 ベトナム戦争の映画といえば、なにをおいても『地獄の黙示録』であり、もうひとつはこの『プラトーン』がきまって挙げられる。この映画はウィレム・デフォーの壮絶な死のシーンが強烈な印象を残している。死のシーンが名場面というのもどうかと思うが、わたしにとってこの映画はウィレム・デフォーの映画だ。これ以後の多くの戦争映画は、この映画の亜流にすぎない。

 

フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督)

 キューブリックの映画は、『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』『アイズ ワイルドシャット』は見たが、いずれもわけがわからず、わたしの好みではなかった。そのなかで『フルメタル・ジャケット』は、唯一まともな作品だったように思える。

 

冒険者たち』(ロベール・アンリコ監督)

 (主演女優の)ジョアンナ・シムカスはその後、シドニー・ポワチエと結婚してしまった。さすが慧眼である。許してやった。シムカス以後、彼女以上に美しい女優は出ていない。次点として、ガブリエル・アンウォーとメラニー・ロランがいるだけだ。

 

 最後に瀬古が選ぶ「わたしのベスト15」が挙げられている。

七人の侍』(黒澤明監督)

切腹』(小林正樹監督)

『逃亡地帯』(アーサー・ペン監督)

夜の大捜査線』(ノーマン・ジェイソン監督)

『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』(マーティン・ブレスト監督)

カリートの道』(ブライアン・デ・パルマ監督)

アポロ13」(ロン・ハワード監督)

『プラス!』(マーク・ハーマン監督)

グリーンマイル』(フランク・ダラボン監督)

リトル・ダンサー』(スティーブン・ダルドリー監督)

アトランティスのこころ』(スコット・ヒックス監督)

冒険者たち』(ロベール・アンリコ監督)

ワールド・オブ・ライズ』(リドリー・スコット監督)

『ジャンゴ 繋がれざる者』(クエンティン・タランティーノ監督)

ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル監督)

 

 

 

eitoeikoの江川純太展を見る

 東京神楽坂のeitoeikoで江川純太展「語られない言葉」が開かれている(9月24日まで)。江川は1979年神奈川県生まれ、2003年多摩美術大学日本画専攻を卒業している。トーキョーワンダーウォール、VOCA展、シェル美術賞など様々なグループ展に選ばれている。eitoeikoでは5年ぶりの個展となる。

 ギャラリーのホームページから、

 

抽象表現を究める画家の、弊廊では5年振り8度目の個展になります。10年前の2012年にトーキョーワンダーウォール賞を受賞し、翌年のVOCA展に選出されて以来、江川は自身の油彩画を更新すべく様々なアプローチを試みてきました。 評価を受けた自身の絵画に固執するのではなく、先を越える表現の探究は現在まで休みなく続けられています。本展では150号の大作のほか、様々なサイズの油彩画を10数点展示いたします。皆様のご高覧をお待ちしております。



 江川は毎回新しい表現を試みている。今回は150号の大作を展示している。塗り重ねたところと塗り残したところ、それは大作でもたくさんの小品でも変わらない。

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江川純太展「語られない言葉」

2022年9月3日(土)―9月24日(土)

12:00-19:00(日月祝日休廊)

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eitoeiko

東京都新宿区矢来町32-2

電話03-6873-3830

http://www.eitoeiko.com

地下鉄東西線神楽坂駅矢来口より徒歩5分

 

 

ガルリSOLの米田称侑展を見る

 東京銀座のガルリSOLで米田称侑展が開かれている(9月5日まで)。米田は1994年富山県生まれ、2017年に女子美術大学芸術学部美術学科洋画専攻を卒業、2019年に同大学大学院美術専攻か博士前期課程を卒業している。今回が初個展となる。

 米田の言葉、

 

一つの命が生まれるまでに遙か昔から紡いできた血の繋がりがある。

数えきれないほどの人の人生が一つ一つ織り重なったそれは見えないけれど確かな質量を持って存在しているように感じる。

両親、祖父母、曾祖父母、誰か一人でも欠けていれば自分はここにいないのだ。

人が死んだ後、魂はどこにいくのか。自分が死んだ後も繋がってゆく顔も知らない数多の人物たち。

自らもその輪の一人だという事実は、私の制作の源である。

 

「生命の渦」

「生命の渦」の部分

「生命の渦」の部分

「生命の渦」の部分

「生命の渦」の部分



 米田はシュールレアリスム系の作品を描いている。正面の大きな作品40号の「生命の渦」がとても良かった。老人?の長い首に龍が絡みついていて、龍の顔はダブルイメージを表しているようだ。内臓や胎児が描かれていて、複雑な図像を呈している。米田がこれらを計算して描いているのではないことが素晴らしい。そのような姿勢から今後の展開が楽しみだ。シュールレアリスム系の作家が少ないところから米田への期待を表明したい。

 自分で工夫したと言うキャンバスの周囲に布を貼ったのもなかなか良かった。

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米田称侑展

2022年9月5日(月)―9月10日(土)

11:00-19:00(最終日17:00まで)

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ガルリSOL

東京都中央区銀座1-5-2 西勢ビル6F

電話03-6228-6050

https://galerie-sol.com/