天下大将軍 地下女将軍

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 西武池袋線高麗駅前に赤い2本の柱が立っていて、大きく「天下大将軍 地下女将軍」と書かれている。これは何だろう。この地が朝鮮半島ゆかりの地であることは知っている。有名な高麗神社があるし、近くには九万八千社という不思議な名前の神社もある。九万もコマではないのか。この地方には7世紀に朝鮮半島から来た人々を入植させたという歴史がある。だからこの柱も挑戦半島ゆかりのものであることは見当がついた。

 最近『齋藤怘詩集』(土曜美術社)を読んでいたら、「張相」という詩があった。

 

   張相(註)

 

雪が降ると幾日か消えなかつた

粉雪は風に舞い風によせられ

雪の野にゆうべの風あとが残つていた

 

切れてしまつた絵凧を追つて

ふたすじのわだちのあとをたどつていると

井戸を汲む滑車のひびきがきこえてきて

野のはてに知らない部落がひらけていた

 

うずもれた三里塚の石のあたり

雪をおくしげみのかげに

地獄絵の大王とまがう標木が立ち

部落へのゆくての道をさえぎつた

 

天下大将軍 地下女将軍

地底から歯がみする死者たちの霊のように

高麗野路に萌えたち連れそいたたずむもの

張相の朱の口はさけ眼はくまどられ

みけんを走る青のたてじわ

冠につき出た黒いこうがいに

私はあとじさりわだちのあとをかけていた

 

その夜は粉雪が雨戸をたたき

灯を消した部屋のすみ欄間のかげに

黒い冠の影があらわれ

指さしあしずり近づいて来た

私はいけにえのように息をつめ

近づく影をはらいながら

夢に舞う役者の絵凧を追つていた

 

こころは何かに追われていた

影は人となり人はしおざいのどよめきとなつて

どこまでも私のあとを追つてきた

山は姿をかえ

荒涼とした野のはてに一対の標木が見えていた

 

私がかえつていくところ

高麗野路の雪にひろがる

すみきつた空の青さに

絵凧は弧をかいて消えてしまつた

 

  註 朝鮮の道に立ててある天下大将軍、地下女将軍の標木。里程標の役をはたし、厄除けでもある。人面を彫つたのは、おちぶれた顕官張丞の怨霊を慰めるためといわれ、一説に性神説がある。張丞、将相、張相、ちやんすんと呼ぶ。

 

 

 作者齋藤怘は1924年大正13年)朝鮮ソウル生まれ。戦前は朝鮮半島で育つ。詩はしばしば朝鮮半島での子どものころの情景を詠ったものが多い。天下大将軍、地下女将軍の標木は身近な存在だったのだろう。なお「怘」は「まもる」と読む。日本現代詩人会理事長を務めた。2006年没、享年82歳。

 

 

 

 

丸谷才一『夜中の乾杯』を読む

 丸谷才一『夜中の乾杯』(文春文庫)を読む。丸谷が文藝春秋の雑誌『Emma』に昭和60年の創刊号から61年に連載したもの。やはり最初は丸谷と言えどおぼつかなかった。途中から丸谷節が戻り面白くなる。

 「ヒゲを論ず」から、

 

 淡谷のり子といふ大姉御は、若いころ、新しい恋人が出来ると、かならず鼻下にヒゲを立てさせたといふ。ウーム、わかるやうな気がしますね、そのクチヒゲのエロチックな効用。わからない人は大いに想像を逞しうして、やがて、つひに、とうとう、ハハーンと思ひ当つて下さい。

 

 「性的時代」は五味文彦の『院政期社会の研究』を引く。院政期というのは、白河、鳥羽、後白河の3上皇による院政が行なわれていた1086年から1192年まで。保元の乱平治の乱平氏の栄華、平氏の滅亡などが主な事件だった。この頃はひどく風儀の乱れた時代だった。

 

 白河上皇はその養女璋子(たまこ)と関係してゐながら、彼女を自分の孫である鳥羽天皇の后にし、しかもその後も関係を続けた上、彼女に子供(後の崇徳天皇)を産ませ、表向きは鳥羽天皇の皇子とした。どうやら璋子さんは、白河上皇および鳥羽天皇の双方と同時に関係しても平気だつたらしい。これが保元の乱の遠因と見ることもできるから、つまり当時の政治は性的退廃ないし大らかさと深く結びついてゐたのである。

 

 白河上皇!!! と叱りたい。また院政期は男色も盛んだったという。左大臣藤原頼長は7人の貴公子と男色関係を持っていた。それは政治的な勢力拡張のためだった。さらに平重盛後白河院と関係があった。丸谷は親子どんぶりだったと書く。また頼長は日記で、源為義の子で木曾義仲の父に当る義賢をベッドに引き入れて、なかなか味が良かったと書いているという。

 「入社試験」の章で、

 

 自分がしたことのない体験に興味がある。(……)わたしがしたことのない体験の代表は、見合と入社試験である。

 もちろんこのほかにもいろいろあつて、たとへば強姦なんかもしたことがない。結婚サギなんて体験もない。狩りの体験も、飛行機を運転した体験もない。いや、自動車もないね。実を言ふと、今の日本人には珍しく、カラオケで歌つたこともない。ゴルフもゲート・ボールもしたことがない。ループ・タイといふものを結んだこともないし、女装したこともない。カレー・ライスを指で食べたこともないし、ウドンをオカズにしてご飯を食べたこともない。

 

 私も考えた。見合はしたことがないが入社試験は何度も受けた。強姦も結婚サギも狩りも飛行機の運転もしたことがない。ゴルフも女装もない。カレーを指で食べたのはインドで経験した。ウドンでなくラーメンをオカズにご飯を食べたのは、ラーメンライスがそうだった。珍しい体験と言えば、テキヤを1年間やったこと、飯場に入ったこと、キャバレーのボーイや呼び込み、睡眠薬遊びやハシッシを吸ったこと。カツアゲが一番悪いことだったかなあ。無銭飲食もしたけど、一緒にいた友達が捕まって代金を払ってきた。

 リクルートの入社試験も受けたけど、50年前だったから江副さんも面接官の一人だったのだろう。まだ小さな会社だった。飯場というのは土方の簡易宿舎のこと。そこでオイチョカブという博打を教わった。キャバレーではチンチロリンというサイコロを使う賭け事が流行っていたけどしなかった。

 「女の背広」の章で、20世紀を代表する女を選んでいる。まずマリリン・モンローが頭に浮かぶ。でも丸谷は、モンローを「生身の女といふ感じぢやない。あれはやはりハリウッド製の妖精なので、この点、ここでは除くほうがいい」と言って、次にエリザベス女王を上げるが、「共和主義者であるわたしとしては、なるべく女王様ははづしてしまひたい」と言う.

 

 エヴァ・ペロン? 要するに亭主の選挙運動をやつた女でせう。日本の代議士の細君をもつと派手にしたやうなものである。別に悪口を言ふつもりはないが、褒めるのもためらはれる。

 ボーヴォワール? わたしは小説の下手な女流作家は好まない。

 マリア・カラス? 盛りが短かつた。

 

 そして丸谷が選んだのはココ・シャネルだった。

 改めて丸谷才一は後世小説家というよりエッセイストとして記憶されるのではないかと思った。

 

 

 

大岡信ほか『忘れえぬ詩』を読む

 大岡信ほか『忘れえぬ詩』(思潮社 詩の森文庫)を読む。8人の詩人たちが選んだ「忘れえぬ詩」のアンソロジー大岡信のほかに、那珂太郎、飯島耕一岩田宏、堀川正美、三木卓が書いている。

 大岡は万葉集以前の古事記などから応神天皇の歌、万葉集古今集などのざれ歌から、和泉式部西行、定家、梁塵秘抄方丈記道元語録、良寛までを取り上げている。

 那珂太郎は「ルバイヤアト」から「百人一首」、西行ときて、西脇順三郎の「水」を引く。ついで連歌の「水無瀬三吟」から、続いて蕉門俳諧の「七部集」を詳しく紹介している。

 飯島耕一ランボーの『地獄の季節』小林秀雄訳、小林の友だちでもあった富永太郎ボードレール中原中也の「秋の一日」、萩原朔太郎の「薄暮の部屋」、北原白秋の「接吻の時」、ラルボーの「序詞」を上げている。

 岩田宏は「神曲地獄変第5曲、マヤコフスキーの「笑いの設計図」、エリュアールの「真夜中ちかく」、吉野臥城の「石工」、この吉野臥城は明治~大正の啄木以前の社会主義詩人と紹介されている。

 堀川正美は1931年生まれ、「わたしには、1945年の終戦から約3年間というもの、なにをしていたのか、どういうことがあったのか、およそ記憶が失われたままである」と書き始める。「今になってもろくろく想い出せないままでいる」と。堀川の選んだ詩は、ロレンツォ・デ・メディチの小唄、ルイ・アラゴンの「ゴビ」、エリュアールの「生ける骨灰」、鎌田喜八の「不運」、堀内幸枝の「沼地」、谷川雁の「おれたちの青い地区」、窪田般彌の「烏賊」これは74行を引用している。最後に作者不明の詩を。

 三木卓は『プー横丁にたった家』から「プー作の物音」、マザーグースの「まがった 人が」と「フランスの王さま」、関根弘の「海」、そして平林敏彦の「ひもじい日々」を取り上げる。この詩について、

 

 平林の詩は、まるで自分自身のためにだけ書いているように勝手でぶっきらぼうで読みづらかったが、好きで、よく読んだ。

 

 と書いている。次いで、」飯島耕一の「言葉について」、岩田宏の「土曜の夜のあいびきの唄」、ロシアの詩人ブロークの「十二」、マヤコフスキーの「とってもいい!(ハラショー)」の一部を引いて終わる。

 

 

 

佐藤文隆の『「科学にすがるな!」』を読んで

 8年ほど前に書いた《佐藤文隆の『「科学にすがるな!」』を読んで》をたまたま読み直したら、我ながらとても興味深い内容だと思ったので、ここに再録する。

     ・

 艸場よしみが佐藤文隆にインタビューした『「科学にすがるな!」』(岩波書店)を読む。副題が「宇宙と死をめぐる特別授業」。艸は「くさ」と読む。佐藤文隆京都大学名誉教授の理論物理学者、宇宙論や一般相対論に関する著書も多い。題名は佐藤の言葉「科学にすがるな!」から採っているのでカギかっこでくくられている。

 フリー編集者の艸場が宇宙研究の第一人者と目した佐藤に、「死ぬ意味、生まれてきた意味」を教えてほしいと企画したもの。1年間に7回の対談を行って、それを艸場がまとめている。

 艸場は一流の科学者から死について教わりたいと考えている。科学が進歩してさまざまなことが分かってきている。その先端の科学者は死について何と言ってくれるか。哲学や宗教の視点ではなく、科学者の視点では何と語ってくれるかと。

 艸場は佐藤に対して、勉強してきた物理学の話題を取り上げる。

 

 「ようやく少しわかりました。物理学と哲学はとても近いものなのですね。物理で探求しようとしていることは、物質の根源なのですね。古代の哲学者が万物の根源を探し求めたのと、同じなのですね」

 すると先生から表情がすっと消えた。/「根源なんて」/がっかりしたように首を振る先生。/「ないんだよ、そんなもの」(中略)

 「根源なんていう言葉に意味はない。究極の物質を突き止めるなんて、軽々しくいう言葉ではないし、意味はないのだよ」(中略)

 「最近の理論では、物質の根源は「粒」ではなく、「振動するひも」なんですってね」

 「いまのぼくには興味がないね。世の中でもっとリアルな、自然についての知識が増すようなことなら、いまだって興味があるけれど」/と、ふいと横を向く。

 「最近話題になっている暗黒物質については、どうなんでしょう? じつは宇宙の大部分は暗黒物質、つまりまだ解明されていない不思議な物質で満ちているそうですね」/何とか食い下がろうと、返事を待った。

 「それも、なんの意味もないという話がはじまるだけだ。やめよう、その話は」/と、さえぎるように手を振った。

 

 艸場の提出する話題に対してにべもない。ダークエネルギーもビッグバンも話はすれ違うばかりだ。しかし艸場は問いかける。佐藤は、宇宙は人間が存在するために生まれたという「人間原理」に対して明確に否定する。艸場は死について聞くつもりでいたのに、佐藤からは物理学についての基本的な講義が続けられる。話題は、真空、素粒子シュレディンガーの猫、そして量子力学のこと。

 

 「量子力学は、いままでわれわれが見てきた世界の見方が間違っているのですよと、けちをつけてくるんだ。量子力学の不思議さは、理論の欠陥ではなく人間の欠陥だろうと、ぼくは考えている。人間は、自然を素直に見るようにはできていないんです」

 人間はマクロの世界で生きてきたから、微細なミクロの世界を理解できるようにはできていない。田舎で育った人間がハイカラな量子力学を理解できないでいるんだ。人間はしょせん田舎者なんだ、と先生は笑った。

 

 最後の章になってようやく艸場の知りたい「死」に近づいてくる。

 

 「先生が学者としてやってきたこと、つまり宇宙や相対論をはじめとする物理の探究を通じて、死や生をどうとらえているかを聞きたかったのです」(中略)「でも、宇宙や時間の話をいくら聞いても、死や生につながらないのです」

 先生はちょっと首をかしげた。/「物理では人間はわからない。まして死や生などわかるはずがない。ぼくは折に触れいってきたはずだが」

 

 「物理学とは何ですか」/いまさらながら尋ねた。(中略)

 知ったことからその先を予測して、また実験して検証する。こんな地道な積み重ねで知識の範囲を広げていくのが科学である、と先生はいった。(中略)

 私はこのとき二つのことを理解した。/人間はそのとき立っている場所から探索してきたし、科学がどんなに進んでも、わかったことから広げていく態度が大事だと先生は考えているのだ。/そして、物理法則は人間が作ったものだというその意味は、物理法則とは人間がそのように自然を見た見方なのだ。

 「物理や科学の理論は、人間の思考様式に合うようにつくっているんだと思うよ。だって、人間のものの考え方というのは、しょせんは人間が納得するかどうかだからね。なのに、人間を離れた所に何かあってそれを学ぶのだと考えるのは、間違っている。宗教みたいに人間を離れよう離れようとしても、離れた所には何もないと思うけどね、ぼくは」

 

 本書の第1章で佐藤は「実在には3つあると考えている」という。目の前にあるカップは第1の実在で外界(がいかい)だ。人間がいなくても外界はある。これをカップだとぼくたちが認識するのは、電気信号の作用。いっぽう夢も、頭のどこかで信号が起きたことによる。つまりカップだと思うことと夢で思ったことは、同一レベルの話で、これは第2の実在。外界に対して内界、つまり人間の内部だ。この第2の実在は外との関係で存在する。

 そして、「第3の実在とは、ぼくたち人間が社会的に受け継いできたものをいう」。人間は社会的な動物だ。言語だとか慣習とかはぜんぶ第3の実在である、文学も科学も宗教も、と先生はいった。

 最終章末尾に至って、先生が生と死について語る。

 

 「あなたがぼくに最初に問いかけた、死についてだけれど」(……)「私だって、何もなくなることに何も感じないわけではない」(……)「しかし、第3の世界に何かを残して、そこで記憶という形で生きながらえたいという思いがある。ぼくは学者として生きてきたから、科学の知を残したいと思うが、人によってそれなりに残すものがあるはずです」/家族とか友人といった身近な対象に、何かを残す人もいる、そこは多彩であると先生はつけ加えた。

(中略)

「ぼくは、こうした人間を磨くという(ポール・ヴァレリーの)考え方が非常に好きです。スポーツもそうです。科学で専門性を鍛えることもその一つでしょう。/ぼくはずっと、文化や芸術や科学といった、人間が積み重ねてきた第3の世界の素晴らしさをいっているが、そこに目が行くことが大事なことだと思うね。そこで人類とともに生きていくことです」

 はじめて会ったとき、先生は永遠に生きるすべについて話してくれた。/「第3の世界に名を残したいという努力です。人間を磨いて、完全に自分がなくなったあとも、第3の世界の中で生き続けたいと思うことです。こういう気持ちを持つことは、非常にポジティブでいいことやと思うね。死ねば物体として戻ってくることはないでしょう。でも、第3の世界は残る。死んだあとも第3の世界に伴走することが、幸せでもあり救いでもあると思うね。そのために人間を磨くのです」

 

 私もそろそろ死について考える年になってきた。死ねば意識は消え、魂などというものはなく、肉体は消滅する。何も残らない。ただ親しい者の記憶の中にしか、と考えていた。それでいいと思っている。仮に死ぬときに苦しむことがあっても、それはいっときのことだ。長い人生から考えれば微々たる時間にすぎない。悪くない人生だったと思っている。だからこの先辛いことがあったとしても、圧倒的に長い時間は満足すべきものだった。後悔することや悔やむことはない。第3の世界に何を残せたわけでもないが、大きな不満はない。

 生物にとって、生は偶然与えられたものに過ぎないだろう。人間だからといって、生物一般と異なるとは思わない。宇宙は地球の生命に何の関心も持たないだろう。人間の価値は何ら宇宙的な根拠はなく、ただ人間を根拠とするばかりだと思う。この考え方と、第3の世界を重視する考え方と矛盾はないだろう。

 本書を読みながら、「生と死」がテーマのはずなのに、物理学のことばかり語られていて大丈夫なのかと思っていたが、最後はちゃんと重要な結論にたどり着いていた。ブーメランの飛跡みたいだった。

 

 

 

山本弘の作品解説(106)「行列」

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 山本弘「行列」、油彩、F50号(116.7×91.0cmか?)

 制作年不詳。1968年に山本と飯田市中央公民館から上郷村(当時)の山本の自宅まで二人がかりで手に持って運んだ記憶がある。だからその直前あたりの制作だろう。山本30代の作品。中期の代表作といえる。

 「行列」と題されているが、描かれている人たちに動きがある。皆が急ぎ足で左へ移動している。ただ並んでいるのではなく行進しているような印象で、あるいはデモ隊だろうか。

 現在は個人蔵となっている。画像は1973年にポジフィルムで撮影した。