荒川洋治「美代子、石を投げなさい」

 荒川洋治芸術院会員に選ばれた。会員には年間250万円の報酬が出る。詩人というおそらくは裕福ではない優れた詩人のためにそのことを喜びたい。それで私の好きな荒川の詩「美代子、石を投げなさい」を紹介したい。(以下、全文)


美代子、石を投げなさい

 


宮沢賢治論が
ばかに多い 腐るほど多い
研究には都合がいい それだけのことだ
その研究も
子供と母親をあつめる学会も 名前にもたれ
完結した 人の威をもって
自分を誇り 固めることの習性は
日本各地で
傷と痛みのない美学をうんでいる
詩人とは
現実であり美学ではない
宮沢賢治は世界を作り世間を作れなかった
いまとは反対の人である
このいまの目に詩人が見えるはずがない
岩手をあきらめ
東京の杉並あたりに出ていたら
街をあるけば
へんなおじさんとして石の一つも投げられたであろうことが
近くの石 これが
今日の自然だ
「美代子、石を投げなさい」母。


ぼくなら投げるな ぼくは俗のかたまりだからな
だが人々は石を投げつけることをしない
ぼくなら投げる そこらあたりをカムパネルラかなにか知らないが
へんなことをいってうろついていたら
世田谷は投げるな 墨田区立花でも投げるな
所沢なら農民は多いが
石も多いから投げるだろうな
ああ石がすべてだ
時代なら宮沢賢治に石を投げるそれが正しい批評 まっすぐな批評だ
それしかない
彼の矩墨を光らすには
ところがちがう ネクタイかけのそばの大学教師が
位牌のようににぎりしめて
その名前のつく本をくりくりとまとめ
湯島あたりで編集者に宮沢賢治論を渡している その愛重の批評を
ははは と
深刻でもない微笑をそばづゆのようにたらして


宮沢賢治
知っているか
石ひとつ投げられない
偽善の牙の人々が
きみのことを
書いている
読んでいる
窓の光を締めだし 相談さえしている
きみに石ひとつ投げられない人々が
きれいな顔をして きみを語るのだ
詩人よ、
きみの没後はたしかか
横浜は寿町の焚火に いまなら濡れているきみが
いま世田谷の住宅街のすべりようもないソファーで
何も知らない母と子の眉のあいだで
いちょうのようにひらひらと軽い夢文字の涙で読まれているのを
完全な読者の豪気よ
石を投げられない人の石の星座よ


詩人を語るならネクタイをはずせ 美学をはずせ 椅子から落ちよ
燃えるペチカと曲がるペットをはらえ
詩を語るには詩を現実の自分の手で 示すしかない
そのてきびしい照合にしか詩の鬼面は現れないのだ
かの詩人には
この世の夜空はるかに遠く
満点の星がかがやく水薬のように美しく
だがそこにいま
あるはずの
石がない
「美代子、あれは詩人だ。
石を投げなさい。」


 以上、荒川洋治『抗夫トッチルは電気をつけた』(彼方社)より

 

山本弘の作品解説(93)「面」

 

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 山本弘「面」、油彩、サムホール(SM)(22.8cm×15.8cm)
 1964年10月制作。山本弘34歳。中期の作品になる。ちょうど東京オリンピックが開催されていた頃だ。山本は当時すでに脳血栓の後遺症で手足が不自由になっていたのではないか。
 小さな画面に般若の面を描いている。般若の怖さがよく表れている。このころの作品はほとんど山本の手元から離れていて、私は少ししかみ見たとがない。多く画集などで見ただけだ。まだ具象的な表現だったのでそこそこ売れたりあげたりしたのではなかったか。特に風景画は見事な出来栄えのものが多い。愛子さんと結婚したのもこの頃だったと思う。
 

小林信彦『アメリカと戦いながら日本映画を観た』を読む

 小林信彦アメリカと戦いながら日本映画を観た』(朝日文庫)を読む。昭和7年生まれの著者が太平洋戦争に突入した頃から終戦のころまでどんな日本映画を観てきたかを語りながら、そのことで当時の世相を少年の眼で描いている。とても興味深い社会史になっている。日本映画であるのは、戦争と同時に敵国である米英の映画が日本では上映されなくなったから。しかし日本映画といってもアメリカ映画の影響を強く受けており、小林少年は日本映画にアメリカ映画を探っていく。
 真珠湾攻撃が9歳のときで、終戦のとき中学生だった。父親が日本橋で和菓子屋をやっており、その当時オースチンを乗り回していた。小学生のときから映画を見ていて、それもアメリカ映画が好きだったが、戦争が始まると日本映画を見るしかなかった。そんな経歴からさすがに映画に詳しい。また執筆のためにビデオでも見返している。
 特に優れた作品は、黒澤明監督の「姿三四郎」と稲垣浩監督の「無法松の一生」だ。「無法松」は稲垣監督によって戦後三船敏郎主演でリメイクされたが、第1作の阪東妻三郎主演のものには及ばないとある。「スタッフ・キャストが一丸となっての燃焼度の問題である」と。
 阪妻版の21年後に作られた山田洋次の「馬鹿まるだし」はその優れたオマージュであると書き、さらに

 山田洋次は〈未亡人への汚れた男の無私の献身〉をテーマとした作家ともいえる人で、「男はつらいよ」シリーズの渥美清、「遙かなる山の呼び声」の高倉健、いずれも、最初の「無法松の一生」の阪東妻三郎を祖型としている。〈セックス抜きの献身〉は車寅次郎(渥美清)によってつづけられた。

 昭和19年に小林は埼玉へ集団疎開をさせられる。初めて親元を離れた集団生活で、この時期がもっとも苦しかったと書いている。翌年新潟の遠い親戚へ家族ともども再疎開する。東京を離れたこの頃映画がほとんど見られなかった。
 新潟で終戦を迎える。

 戦争は終わったというが、要するに、負けたことは、みんな知っていた。
 とすれば、常識であった、〈男はペニスちょん斬りで奴隷、女は強姦〉の線はまだあると、ぼくは見ていた。

 昭和21年、ようやく東京へ帰る。ひとつの優れた戦争史だと思う。

 些事ながら、p.116の獅子文六岩田豊雄)が朝日新聞に連載した小説「海軍」のさし絵が中村直人とあり、直人に「なおと」のルビが振られているが、これは「なおんど」ではないか。

 

アメリカと戦いながら日本映画を観た (朝日文庫)

アメリカと戦いながら日本映画を観た (朝日文庫)

 

 

若手評論家を批判する荒川洋治

 荒川洋治『霧中の読書』(みすず書房)にある評論家についての激しい批判がある。評論家の名前は書かれていない。

 最近の批評家の特徴はどんなところにも顔を出し、まことしやかなことを言う点にある。ある若手の批評家は、文芸・学術各誌に登場。石牟礼道子について書き、岡倉天心について書き、鈴木大拙原民喜についても書き、河合隼雄須賀敦子について連載し、漱石についての本、茨木のり子の詩についての放送テキストまで刊行。それらはいずれも本格的な長さのもの。誰についてもたくさん書けるのだ。この人は、すべての学者、芸術家の専門家なのかもしれない。読んでみると自信家であることはわかるが、特別な印象も魅力もない。その人らしさもない。先日詩集を出して受賞したので読んでみたら、素朴なのはいいが、ものの見方がすこぶる単純。ほんとうはあまりものを考えない人なのではないかと思った。自分というものがない人だから見境なく書けるのだ。この時代ならではの知性の人である。

 名前が書かれていないのでネットで検索したら分かった。その批評家について、『NHK100分de名著』の著者紹介より、

若松 英輔
1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学小林秀雄井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞受賞。著書に『イエス伝』(中央公論新社)、『魂にふれる大震災と、生きている死者』(トランスビュー)、『生きる哲学』(文春新書)、『霊性の哲学』(角川選書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社)、『内村鑑三悲しみの使徒』(岩波新書)、『種まく人』『詩集幸福論』『常世の花石牟礼道子』(以上、亜紀書房)、『内村鑑三代表的日本人永遠の今を生きる者たち』(NHK出版)など多数。

 「自分というものがない人だから見境なく書けるのだ」。荒川は激しい人なのだ。

 

 

霧中の読書

霧中の読書

 

 

荒川洋治『霧中の読書』を読む

 荒川洋治『霧中の読書』(みすず書房)を読む。これがとても楽しい読書だった。荒川の最新3年間の書評集。本書を読んでまた何冊も読みたい本ができてしまった。

 吉本隆明詩学叙説』は『言語にとって美とはなにか』から41年後、平成18年の詩論集。散文は「意味」、詩は「価値」の視点で、近代から現代への詩の歴史、表現の変化を読み解いていく。語句の振幅と奥行を測る視線は、これ以上望めないほどこまやかで鋭い。吉本隆明の状況論、思想論は、こうした、詩の言葉を見つめる文章の経験を基盤にして生まれたのだと思う。散文だけに向き合う現在の批評家には書けない、ゆたかな一冊だ。

 広津和郎『散文精神について』(本の泉社)を広津の代表的論考の新版と紹介し、「作家論、散文芸術論から社会・政治論に及ぶ」と書く。

 現代にはこのような文芸評論は存在しない。文芸誌の評論や文芸時評では、社会科学もしくは時流に合う学術的視点など外部の力を借りるものがふえた。見映えはいいが、遊戯に近いものになりはてた。文芸評論は、限界点を自覚しながらも、文学にかかわる知識や経験をもとに、その人自身の眼を見開いて、ものを見つめようとするものだ。文章の最後の最後まで、「忍耐強く」考え、思いをこらし、ことばを尽くす。それが文芸評論なのだと思う。『散文精神について』は文芸評論の意義を伝える、歴史的な書物である。

 荒川が紹介し、読んでみたいと思ったのは、色川武大『うらおもて人生録』、十返肇『五十人の作家』(講談社)、高見順『対談 現代文壇史』(筑摩叢書)、サローヤン『ヒューマン・コメディ』(光文社古典文庫)、川上未映子『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』、『水瓶』(どちらも青土社)、『西東三鬼全句集』(角川ソフィア文庫)など。
 荒川は激しい詩人なのだった。

 

霧中の読書

霧中の読書