長谷川龍生亡くなる

 うかつにも知らなかったが、詩人の長谷川龍生が8月20日に亡くなっていた。享年91歳だった。長谷川は1928年、大阪生まれ。幼い時から強度の自閉症に罹り、さらに失語症に陥ると年譜にある。処女詩集『パウロウの鶴』が評価される。ついで詩集『虎』が発表される。
 私はこの詩集『虎』に収録されている「虎」が好きだった。全18連、333行のシュールレアリスムの長編詩だ。詩人本人による「解説」がついており、大量に蛤を食べたために中毒症状を起こし、3日間夢遊病者になってしまってこの作品を作ったという。ここには18連中、1、2、7、18の4連を抄録する。

 解説・1958年9 月23日・ぼくは仕事のあとの昼睡から目が覚めた。身体じゅうから異常な悪臭がたちのぼっていた。前日から飯類のかわりに、鍋いっぱいに煮つめてある蛤ばかりを食べていたせいかもしれない。(中略)代々木病院御庄博実に診察してもらおうと思った。(中略)そこで、家を出て、一路永福町の駅に向かった、その途中、とつぜん、ぼくはぼくを忘れてしまったのである。もちろん正常な意識を喪失してしまったことはいうまでもない。よくよく記憶の糸をしぼっていってみると、一匹の大きいグレートデン種のような犬が、金あみ越しに猛烈にほえたてており、その後方で、うすぼんやりした邸宅の女のひとが、それを制していたのを覚えているが、あとが判らない。何処をどうしてほっつき歩いたのか、何を喰って、何の行為をし、何処で宿泊したのか全く判らない。
 9月26日の午ごろ・東京羽田空港の公安室でぼくは保護されていた。ホノルル経由サンフランシスコ行の旅客機に国電のチケットを見せて乗ろうとしたらしいのである。そこを連行されたあとで空港保安官の語るところによれば、服装が新しいに拘わらず泥でよごれており余りひどいので、朝からずっと注意監視されていた。その上、十分ごとにトイレットへ通い、待合所のソファーで、さかんに筆記したり、エア・フランスの案内受付へいって奇怪な外国語で何か訊問をつづけ、其処の人を大いに困らせていたとのこと。
(中略)家内は、「また、病気ね」とひと言いっただけである。(中略)次頁の詩みたいなものは、その三日間に走りがきされたものである。(中略)こういうものは恥ずかしいもので極秘にしておくべきものであるが、精神力消耗のプロセスが、その緊張度によって割合好く判るので諸兄の参考のために発表するものとする。R・バロマ・ドクタアのことは誰のことかよく判らない。虎は寅の字でかかれてあった。尚、三日間のうちの宿泊したところが図解で解説されている。しかし、これは本物の地図を参照しても発見されなかった。


 1

泪もろい
ああ、泪もろい
はらはらと泪がこぼれる。
路をあるいている時
電車にのっている時
ひとり、ベンチにねそべっている時。

おれは、恐怖王
ああ どうして、
単純、残忍、無償殺人者、
夜の路をすれちがっていった人
電車の連結器にのっかっている人
なんでもなく平凡に生きている人
おれは殺す

 2

虎、はしる
虎、はしる
生きものが、すべて弱く
ひしめいて死んでいく冬の野づら
電線のとぎれている砂漠のはてから
鉄道のとぎれている荒地のはてまで
吹きながしている風の帯のかなた、
いちばん遠い獲ものをめがけ
蹴立てる爪 蹴立てていく現実
城をこえ、湖をふかくくぐり
禿げ山をかけ上り下り
虎、はしる
虎、はしる

 7

虎よ。
恐怖王の使者の中の
たった一匹の勇者。
赤外線の虎よ。
てれくさくねむっていた内気な心臓。
よごれたむしろをかぶっていたニヒルな毛皮。
牙ばかりをみがいていた自虐の名誉。
その虎が、いま、おれを喰いやぶり
獲ものをめがけて、太陽への道を走る。
虎、はしる。
虎、はしる。
すべての色あせた獲ものの世界
虎、はしる。

 18

虎、はしる
虎、はしる
遠い獲ものをめがけて
蹴立てる爪、蹴立てる現実。
おれの虎だ。おれは虎だ。
おれは虎だ。おれの虎だ。
低空飛行の虎、急降下着陸の虎。
黒い縞の弾力、虎はしる。
現実は、点と線。
点と線の中の点と線。
虎、はしる。
虎、はしる。
R・バルマ博士よ、さようなら
さようなら。
さようなら。

 龍生さん、さようなら。

 

 

長谷川竜生詩集 (現代詩文庫 第 1期18)

長谷川竜生詩集 (現代詩文庫 第 1期18)

 

 

天使のトランペットが咲いている

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 東京日本橋小伝馬町に天使のトランペットと呼ばれるキダチチョウセンアサガオが咲いていた。これが恐ろしい幻覚作用を持っていることを2年前の植松黎の「世界の毒草」で知った。それを紹介した私のブログを再掲する。

……キダチチョウセンアサガオの原産地の一つが南米コロンビアで、その毒成分スコポラミンの中毒症状は記憶喪失だという。
 コロンビアの夜の美女たちは、酔客や観光客を誘ってスコポラミンの粉末を飲み物に溶け込ませる。その粉末は少量で効果があり、無味無臭だから気づかれにくい。

 「スコポラミンの最大の被害は、被害を受けてもその記憶がまったくないことである。いわれるがままに、現金やキャッシュカード、スマホなど金目のものすべてを差しだしてしまう。気がついたときは路上に放りだされ、酔いつぶれたように横たわっていたりするのだ。 コロンビアの都市では、こうした犯罪が日常茶飯事におこる。しかし、犯人が捕まることはめったにない。何しろ、被害者は犯行時のことは記憶喪失状態で犯人像はもとより、自分が何をし、何をされたか覚えていないのだ。証拠もなく、供述も曖昧だから立証が困難なのである。」

 また、ATMに連れていかれたある男性被害者は、機械を操作して現金を引き出し、それを犯人に巻きあげられる。スコポラミンで自由意思はしばられていても体は命令どおりに動くのだ。さらにそのあと犯人たちは彼の自宅に案内させ、部屋にある金目のものを一切合切持ち出した。近所の人がいぶかって声をかけても「いいんだ」と振り切って家財道具を運ばせた。2日後にようやく気付いたときは、自分の身に何が起こったか全く覚えていなかった。
 植松はこれを読んで安易に真似をしないようにと最後に恐ろしい事例を紹介する。祖母の家の庭で、祖母と母と会話に興じていた21歳のドイツ人の青年がトイレに立って、間もなく耳をつんざくようなすごい叫び声をあげた。彼は庭の剪定バサミで自分の舌とペニスを切断してしまったのだ。彼は自作のスコポラミン茶を飲んだのだった。スコポラミンは記憶も失わせるが、幻覚もおこさせるのだ。
 キダチチョウセンアサガオは園芸名エンジェルトランペット、花が下向きに咲く。近縁のチョウセンアサガオダチュラとも呼ばれ、花が上向きに咲く。やはり有毒植物である。

 「世界の毒草」が連載されていた『一冊の本』は、内容が過激なためか、連載を途中で打ち切っている。

コバヤシ画廊の村山隆治展を見る

 東京銀座のコバヤシ画廊で村山隆治展が開かれている(10月12日まで)。村山は1954年茨城県生まれ、1980年に東京芸術大学大学院美術研究科を修了している。その後、ギャラリー山口やギャラリー手、ギャラリー21+葉などで個展を繰り返した後、2007年からは毎年コバヤシ画廊で個展を開いている。
 村山は特殊な方法で作品を作っている。ガラス絵の技法だ。村山はガラスではなくアクリル板を使う。ガラス絵同様に裏面に描く。キャンバスに描くのとは違って、最初に置いた絵具が一番の表面になる。キャンバスに描いた場合は、最後に置いた絵具が表面になるのと正反対なのだ。

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 今回画廊正面に大きな作品が展示されている。左右3m66cm、高さ2m18cmもある。村山は筆を使わないで手で描いているという。そのせいか何かなまめかしい印象がある。またアクリル板に裏から描いているのでその点でも独特な表情をしている。
 描いては裏返して見るので重量がネックになるという。それでも今年は今までより大きな作品を描いている。見ごたえのある作品だ。
     ・
村山隆治展「work the earth」
2019年10月7日(月)-10月12日(土)
11:00−19:00(最終日17:00まで)
       ・
コバヤシ画廊
東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1F
電話03-3561-0515
http://www.gallerykobayashi.jp/

 

「表現の不自由展・その後」に関して

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 日本美術史の佐藤康宏が「表現の不自由展・その後」で展示が中止になった件に対して、「日本美術史不案内 125 不自由、じゅうぶん不自由」でコメントしている(『UP』2019年10月号)。

……なお、1986年に富山県立近代美術館で展示された大浦信行「遠近を抱えて」が、県会議員や右翼団体の抗議を受けた結果、美術館から売却され、作品が掲載される図録までも焼却された事件があった。それを踏まえて、今回はその作品と続編となる大浦の映像、そして嶋田美子「焼かれるべき絵」が展示されていた。加治屋健司氏ら現代美術の専門家の論考・解説が備わるのでこれらの作品については贅言を避けるが、きわめて知的な操作から成る造形を単純化し、ただ昭和天皇の写真が焼かれる映像があるといって非難した人々――「表現」そのものを理解しない怠惰な精神も表現を抑圧する力となったのだった。

 富山県立近代美術館には当時右翼が館長室まで押し入って館長に暴行を加えた。その結果大浦作品を売却し、掲載された図録もすべて焼却されたのだった。この事件は美術館関係者に大きなトラウマを残し、事件後30年経った2016年の東京都現代美術館の「キセイノセイキ」でも、天皇の影を扱った小泉明郎の「空気」が美術館からの要請で出品を取りやめさせられている。「検閲」との批難を恐れる美術館からは、小泉が自主的に取り下げた形を取らせて。
 30年前の右翼の脅しは現在でもなお有効に機能しているらしい。

 

 

ギャラリー枝香庵の野澤義宣展「-己事記-」を見る

 東京銀座のギャラリー枝香庵で野澤義宣展「-己事記-」が開かれている(10月14日まで)。野澤は1947年東京都生まれ。1966年寛永寺坂美術研究所に学ぶ。1974年臥牛会を結成(2006年退会)。以前は真っ黒な画面を作っていた。現在は基本的に抽象的な作品を描いているが、同時に顔シリーズなどの具象画も描いている。数年前の個展では寒山拾得を描いていた。

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(上の作品の一部)

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(上の作品の一部)

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 白い絵具を塗り、その上に黒い絵具を重ね、黒い絵具を削って白い細い線で形を描いている。人のような形が描かれ、その体の中にはごちゃごちゃした形が描かれている。背景にはフリーハンドの升目や平行線、同心円などが描かれている。歌舞伎役者が見得を切っているような絵もある。広場に多くの人が集まっているような作品もあるが、よく見ると人にも見えるが記号のようでもある。観音菩薩阿弥陀如来が飛来しているような作品もある。
 野澤は何を描いているのだろう。おそらく内面のイメージなのだろうが、それは野澤が抱える象徴的な世界像というか自己像のようなものではないか。野澤は論理的に言葉で考えるのではなく、世界や自己を混沌としたイメージで捉えているのではないだろうか。個展の表題もいつも「-己事記-」としている。
 野澤は思索の画家と言って良いのかもしれない。象徴主義の画家とも言えるのではないか。不思議な魅力を持った画家だ。
     ・
野澤義宣展「-己事記-」
2019年10月5日(土)-10月14日(月)
11:30-19:00(日曜日と最終日は17:00まで)
     ・
ギャラリー枝香庵
東京都中央区銀座3-3-12 銀座ビルディング8F
電話03-3567-8110
https://echo-ann.jp