オフィスIIDAの佐藤杏子展を見る

 東京銀座のオフィスIIDAで佐藤杏子展が開かれている(4月27日まで)。佐藤は1954年茨城県生まれ、1980年に多摩美術大学大学院を卒業している。1997年から1年間文化庁の在外研修員としてチェコ共和国に派遣されている。各地で個展を開いているがギャラリー砂翁とギャラリートモスでは10回以上個展を行っている。現在版画協会会員。

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 オフィスIIDAの壁面に20cm四方の油彩が整然と25点展示されている。このパネルは厚みがあって側面にまで描けるので好きなのだと言う。なるほど側面のまでしっかり描き込んである。
 抽象的な作風だがどこかにモノの形がほの見えて楽しい。版画の仕事が主体のようでありながら色彩が美しい作家だ。
 オフィスIIDAは銀座の古い名物ビル奥野ビルの4階にあって、小さなスペースだが、佐藤の小品を並べた展覧会には似合っているように思われた。作品と空間が見合って心地よい個展になっている。
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佐藤杏子展
2019年4月15日(月)-4月27日(土)
13:00-18:30(最終日17:00まで)日曜休廊
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オフィスIIDA
東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル408号室
電話03-3564-3218
http://officeiida.com

 

 

ギャラリーなつかの瀧田亜子展を見る

 東京京橋のギャラリーなつかで瀧田亜子展が開かれている(4月23日まで)。瀧田は1972年東京都生まれ。2年間ほど中国へ留学し書を学んできた。2003年ギャラリー・オカベで初個展、以来、なびす画廊での個展を中心に銀座の画廊で発表を繰り返してきた。一昨年なびす画廊が閉廊し、その後藍画廊やギャラリーなつかで個展を続けてきた。

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 今回は三角形で統一している。小型の三角形が繰り返し繰り返し描かれている。三角形は連続しているのか、途切れているのか、いったん描かれたものが上書きされて消されているのか。しかし図の下の地としてどこまでも続いているようにも見える。いや、三角形は図なのだが、地が三角形を覆っているように見えるところもあり、図と地が入れ替わっているような不思議な画面を作っている。

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 右手奥の小部屋に茶掛けと小品が展示されていた。私は書について何も分からないので適当なことを書くが、「きっとことば/にならない」の文字が淡々と書かれているようで枯れていないのがおもしろい。
 小品は瀧田には珍しい色が使われていたが、知人の遺品の高価な絵具をもらったとのことだった。
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瀧田亜子展
2019年4月15日(月)―4月23日(火)
11:00-18:30(土曜日・最終日17:00)日曜休廊
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ギャラリーなつか
東京都中央区京橋3-4-2 フォーチュンビル1F
電話03-6265-1889
http://gnatsuka.com/

 

ギャラリーTOWEDの落合光・林もえ2人展「Kronos」を見る

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 東京墨田区京島のギャラリーTOWED(トウド)で落合光・林もえ2人展「Kronos」が開かれている(4月28日まで)。林は1995年、京都府生まれ。たぶん2018年に京都教育大学教育学部を卒業していると思う。2017年に大阪の画廊で初個展。落合についてはデータがなくよく分からない。林と似た年齢らしいし、今回の企画や展示などは落合がやっているようだ。
 林は油彩で、落合は水彩で描いている。個々の作品にはキャプションがないので、どちらの作品か画廊スタッフに教えてもらった。

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中央の大きな作品と下の2点が林、それ以外が落合

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大きな作品が林、小品が落合

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上が落合、下が林
↓以下、落合光

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↓以下林もえ

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 ギャラリーTowedは昨年8月にこの地にオープンした画廊で、若い作家たち3人が共同運営している。原則週末の金土日のみオープン。東武亀戸線小村井駅から徒歩8分。京成電鉄押上線京成曳舟駅から徒歩10分、東武スカイツリーライン曳舟駅から徒歩13分のところにある。
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落合光・林もえ2人展「Kronos」
2019年4月12日(金)-4月28日(日)
13:00-20:00(金土日のみオープン)
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ギャラリーTOWED(トウド)
東京都墨田区京島2-24-8
Eメール gallery.towed@gmail.com
https://gallery-towed.com/

※原公園横の信号のある交差点から数メートル

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山本弘は晩年断酒までして誰も買わない絵を量産したのか?

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 山本弘昭和5年に生まれた。日中戦争が勃発したときは10歳だった。山本は戦争に夢中になり、絵が巧かったことから軍艦や戦闘機の絵を描きまくっていた。15歳のときに予科練へ入隊すると言って家を出たが、おそらく終戦と重なってか入隊は叶わなかった。8月15日のあと、日本は軍国主義からいっぺんに平和主義に鞍替えし、昨日まで鬼畜米英と叫んでいた大人たちは民主主義をうたい出した。軍国少年だった山本は価値の混乱に直面し、ヒロポン中毒に耽溺し、ついで酒に溺れて行った。そのアルコール中毒はその後山本のほとんど一生を支配した。
 山本はきわめて才能豊かな絵描きだったにも関わらず、健全な飯田市民にとって、単なる酔っぱらいの画家、気ちがいじみた行動を繰り返す生活破綻者でしかなかった。誰もまともな画家とはみなさなかった。
 40代前半にアル中が原因の2度目の脳梗塞に陥ったあと、昭和50年(1975年)45歳のときアル中治療のため飯田病院精神科に入院する。翌年昭和51年(1976年)1月に退院したあと、断酒を実行しそれは2年間余続いた。こんなにも長期間酒を断ったのは初めてではなかったか。残された晩年の作品は1976年から1978年のものが多い。この3年間を山本弘の豊穣の年と言ってよいだろう。事実傑作もこのころに集中している。
 そして地元の飯田市公民館や飯田市勤労福祉センターなどの広い会場を借りて、1976年9月、1977年4月、1978年は1月と10月に続けて4回も個展を行った。展示した点数は油彩だけでも200点を超えるのではないか。
 しかし、1978年1月の個展のあと、再び飲酒を始める。入退院を繰り返し、体調は悪化し、精神的にもピリピリした状態が続いた。そして1980年1月、再度アル中治療のため飯田病院精神科に入院する。入院日誌にはスケッチをまじえ、制作への欲求を訴える。
 1年3カ月後の1981年4月に退院する。退院後も酒はやめずに描き続けるが、3か月後の7月15日に自宅にて縊死する。享年51歳。
 すると1976年から78年までの3年間は山本にとって白鳥の歌だったのだろう。ほとんど売れない油彩、誰からもまともに評価されない油彩を描き続けたのだった。誰が評価しなくても自分自身は己の作品の価値を信じていただろう。でなければ誰も買わず誰も評価しない油彩を大量に描き続けることなどできはしない。
 亡くなって4年後に友人たちが『山本弘遺作画集』を編集する。その出版資金を作るために、飯田市公民館と市内の画廊2軒、合わせて3会場で遺作展が行われ、ほぼ400点が並べられた。しかしその後、時に未亡人を訪ねて絵を買いたいという人が現れたが、実際の絵を見るとこれは買えないと言って、亡くなったあと結局10年間1点も売れなかった。
 ようやく飯田市美術博物館の館長井上正が美術館への収蔵を決め、寄贈という形でほぼ50点が収蔵された。翌年美術評論家針生一郎が未亡人宅を訪ね、極めて高く評価した。それを受けて東京の画商東邦画廊の中岡吉典が東京での遺作展を企画する。1994年の第1回遺作展はまれに見る成功を収めた。さすが東京には目の肥えたコレクターがいたのだった。
 さて、晩年の3年間山本が売れない絵を描きまくったのはなぜなのか。2年間も断酒してまで。おそらく死をもどこかで覚悟して、自分の才能を確実に定着しておこうと考えたのではないか。山本は自己が天才であることを確信していたが、おそらく寿命がそれほど長くはないことに気づいたのだろう。30年間アル中だった人間が2年間とはいえ断酒したのはどんなに強い意志と忍耐を要したのだろう。その成果は確実に残されたのだった。

 

 

アートギャラリー環の鏑木昌弥展を見る

 東京神田のアートギャラリー環で鏑木昌弥展「まなざしの行方 Part 8」が開かれている(4月20日まで)。鏑木は19638年、東京都生まれ。1962年に多摩美術大学美術学部油画科を卒業している。このアートギャラリー環ではもう30回以上ほぼ毎年個展を開催している。
 鏑木はいつも少し不思議な世界を描いている。「海亀の玉子」とか「ザムザの恋人」とか、「よもつひらさか」「避難生活の彼方」とか、題名からでもその少し変な世界が仄見える。
 題名が分かったものを記す。

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「虫のへその緒」

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左上:「地平線のふたご」、右下:「ザムザの恋人」

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右下:「避難生活の彼方」

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右上:「海亀の王子」、左下:「わたしとお前の絆」

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左上:「3人じぞう」、右下:「よもつひらさか」

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「道しるべの少女」

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鏑木昌弥展「まなざしの行方 Part 8」
2019年4月8日(月)-4月20日(土)
11:00-18:30(最終日は47:00まで)日曜休廊
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アートギャラリー環
東京都中央区日本橋室町4-3-7
電話03-3241-3920
http://www.art-kan.co.jp
JR神田駅南口より徒歩3~4分
JR新日本橋駅・地下鉄三越前駅下車、連絡通路にて2番出口より徒歩3~4分
蕎麦屋砂場の前